花ある風景(309)
並木 徹
「権現山の碑が伝えるもの」
この日、権現山(長野県佐久市)は私たちをことのほか温かく迎えてくれた(4月25日)。快晴、山の桜は満開であった。幾度となくこの地を訪れているが、これほど見事に咲いた桜を知らない。染井吉野も白妙もウコンも咲き誇っていた。風は少しばかり冷たかった。元南御牧村長、依田英房さんが建てた「皇居遥拝所跡」の碑の前に集まった同期生31名(遺児一人、夫人一人)。北海道、石川、名古屋からも参加する。
碑前祭には三浦大助佐久市長も姿を見せ今後も権現山の公園化の計画を進めると挨拶する。一時予算もついた公園化の話は一人の地権者の反対で頓挫している形となっているのを踏まえての話であった。依田さんが敗戦から21年目に碑を建てた心の内を慮ると、毎朝この地で東方に遥拝、日夜鍛錬を続けた陸士59期の歩兵科士官候補生たちは敗戦を迎え「この山上に慟哭、解体して四散」した。その男たちが日本再建のために活躍していると聞いて「敗戦の無念さを胸に、それをばねとして立ち上がった若者たちの志」をこの地に残そうとしたのだと思う。夫人つや子さんと一緒に初めて碑前祭に参加した前田孝三郎君は依田翁の志と格調の高い文章に感嘆する。閉会の辞に野俣明君がガダルカナル島で戦死した若林東一大尉(52期)の日記の感想を述べ若林大尉が残した「後に続く者を信じる」に共感するとしめた。依田さんも言いたかったのはこのことではなかったかと思い当った。初めて自衛隊長野地方協力本部の田上健吾1等陸佐が出席された。友人に渡した名刺の裏には「橘中佐遺訓」として軍人勅諭の5カ条が記されていた。
昼食は例年の如く「佐久ホテル」で鯉料理をいただく。雑談に花が咲く。野俣君が予科時代の大村助吉区隊長(51期・昭和20年8月31日憤死)の思い出や区隊長の息子さん、政義さんと深く交流している話を聞く。奥さんを亡くして5年たつ安部光亮君は旅立たれて1年間が最もつらいと心の内をのぞかせる。「街を歩いていると、旅先から帰ってきた女房がひょこり現れてくるような気になることがしばしばある」という。ほろりとした。
今年もまた往復とも清水廉君のお世話の観光バスに乗る。帰りのバスの中で野俣君が「ボケます小唄」と「ボケない小歌」を披露する。それぞれの1番「何もしないで ぼんやりと/テレビばかりを みていると/のんきな様でも 年をとります/いつかしらずに ぼけますよ」1番「風邪もひかずに 転ばずに/笑いも忘れず よくしゃべり/頭と足腰 使う人/元気ある人 ボケません」
新宿駅で「今日は君から元気をいただいたよ」と感謝して野俣君と別れた。私と同じ京王線で帰宅する梶川和男君もうなずいていた。 |