2008年(平成20年)5月1日号

No.394

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安全地帯(213)

信濃 太郎

「河童寺 常泉寺に遊ぶ」

 さる日、江の島沿線、大和市にある清流山 常泉寺に遊ぶ(4月15日)。高座渋谷駅から歩いて7分というが私の足では15分かかる。行く道の案内看板には「千本桜 常泉寺」とあった。すでに桜は散っていた。普段の日であったので詣でる客もまばらであった。
 この寺について友人の霜田昭治君から教えられた。その際、河童が将棋を指している写真をいただいた。将棋盤に置かれた駒は6個、一匹の河童は盤面に手を出し、相手の河童は腕を組んでいる図であった。なんともユーモラスな感じがした。そこで好奇心がわいた。  売店で拝観料300円を払い中に入る。白や赤いみつまた、ジンチョウゲ、カタクリ、春蘭などが所狭しと咲く寺庭の小道を歩く。いたるところに河童のさまざまな姿の像がある。河童の七福神、二宮尊徳像を模した「尊徳河童」もいる。河童が読んでいる本はやはり「大学」であろうか。楽器を手にしたものもいた。葉っぱを手に筆で何やら書いている立像もあった。思わず「常泉の境内いっぱい花河童」の句が浮かぶ。
 一通り見終わったところで売店の中から声をかけられた。「その水ガメにヒキガエルのオタマジャクシが見えるでしょう」。なるほど土の中にうずめられた水ガメを覗くと小さなオタマジャクシが忙しく泳いでいた。声の主は住職の青蔭文雄さん(58)であった。河童は水の神様で、常泉寺に浄水がわきでているのでお祭りしている。住職は旅先で河童を見つけると必ず買い求める。売店の壁の棚にはその河童が並んでいた。将棋の河童を探しあぐねたので「将棋を指している河童はどこにありますか」と尋ねると「河童は夜、あちこち動きますのでわかりません」と、とぼけた答えがかえってきた。売店に小島功の美しいくも優雅な河童が二幅飾ってあった。「小島さんも年なので若い人で河童を書く人いませんか」と質問されたり話がはずんだ。なんと毎日新聞で一緒に仕事をした写真部のカメラマン、江成常夫さん(写真集「ヒロシマ万象」同「まぼろしの国・満州」の著者)の写真弟子であった。今でも江成さんとはゆききがあるという。若い時「花」をテーマに外国に写真取材にも出かけたそうだ。
 山門すぐそばに「桃蹊学舎」の碑がある。明治6年に建てられた公立小学校である。生徒数は100名を数えた。全国統一の学制ができたのは明治5年9月というから日本人の向学心の盛んなことがわかる。河童は姿を消すとき「我々がいなくなるとこの世に災いが起きるであろう」といったとか。水、環境、温暖化が問題になっているとき、河童の存在は見直されてもよいかもしれない。河童を祭る常泉寺を参詣すると霊験新たなものがあるかもしれない。ちなみにこの寺の創建は1588年(天正16年)でご本尊さまは木造の聖観世音菩薩(坐像)である。

 

 

 

(霜田 昭治氏撮影 画像をクリックすると拡大表示します

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