2008年(平成20年)1月20日号

No.384

銀座一丁目新聞

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花ある風景(299)

並木 徹

サンデー毎日OG・OB会

  40年に近い毎日新聞記者生活の中にわずか1年半、週刊誌記者生活を送ったことがある。大阪社会部デスクの後、週刊誌「サンデー毎日」のデスクを昭和40年2月から昭和41年7月まで務めた。これは「新聞記者入門」(みき書房・1978年8月1日発行)にも書いたが、週刊誌の第二報の切り口は学ぶべき点が多かった。「全調査」(これはサンデー毎日の造語である)「○○○についての百人の感想」「黄色い小旗の法的地位」など私には斬新であった。そのあと東京社会部デスクを3年勤めたが大いに役立った。
「サンデー毎日OG・OBの会」が久しぶりに開かれるというので喜んで出席した(1月15日・銀座ライオン新橋店)。案内には自慢の料理プラス、ビール、ワイン、ウイスキー,酒、焼酎なんでも飲み放題とあった。下戸の私にはみんなと久しぶりに会うのがなによりも楽しみであった。出席者を紹介する。まずレデーフーストで・・・
山崎れいみ(才女,度胸あり。なんでも器用にこなす。昭和53年、毎日新聞で女性記者としてはじめての部長職につく。「旅に出ようよ」の編集長に就任。現在、ヨット、海に関する記事を書く)
今吉賢一郎(研究熱心、無口で粘り強い。謙虚。元サンデー毎日の編集長。「毎日新聞の源流」(毎日新聞刊)は名著である)
川合多喜夫(理論家・しゃべりだすととまらない。図書編集部長を経て出版局長になる。作家に知己が多い。特に宇野千代に好かれた)
北野栄三(博学、研究熱心・毎日放送の役員・和歌山放送社長・会長も務めた。「メデアの人々」(毎日新聞刊)などの著書あり、住まいは京都)
柴田寛二(真面目一途なところあり、元大学教授。長野県に住む)
砂田一郎(多彩、熱心、元大学教授、著書多数あり)
武田忠治(名文家,芯がしっかりしている。「四季を旅する京都」(舵出版)の著者)
徳岡孝夫(孤高の人、著書多数あり、三島由紀夫との親交は有名。本人は「太陽と砂漠の国々」が今見てもよく書けている。「事実」の重みは強いと感心している。訳書も多数ある。元大学教授、目が悪く、つえを持つ)
野村勝美(我が道を一人行く。温厚、いまはやめたが「浜田山通信」は読ませた)
話は当然昔話になる。「徳岡はデスクの時、俺の書いた文章を削りまくった。今でも許せない」と川合がいきまく。そういえば、三木正編集長が柴田の原稿になかなかOKを出さないので仕方なく私は柴田と二人で府中の自宅で徹夜して原稿をまとめたことがあった。「出身高校別大学合格数一覧」は三木編集長発案の企画。神田の古本屋で汚れたサンデー毎日を定価で買ったひとまで出た。爆発的な売れ行きであった。来年は庶務を担当、部員が迷惑をかけた小島菊代(むつ市在住)を招待する話がまとまった。いろいろ思い出しているうちに三木正の「私の半世紀」(自費出版)の中の言葉が浮かぶ。
―三木正のジャーナリストとしての実践的信条は「私はジャーナリズムで、まず第一に必要な要素は“自分が何を知りたいと思っているかを知ること”であり、第二は“だれがその話をしてくれるかを発見すること”だと思う」といったジョン・ガンサーの言葉であるという―現在新聞系週刊誌の売れ行きは壊滅的な落ち込みである。だが、ジョン・ガンサーの言葉を忠実に実践すれば生き残る道が開けると思うのだが・・・・

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