2007年(平成19年)11月20日号

No.378

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追悼録(294)

名越二荒之助さんの遺稿を読む

 「興亜観音」第26号(10月18日)に名越二荒之助さん(元高千穂商科大学教授)の遺稿が載っていた。見出しは「かくばかりみぬくき国となりたれば・・・」。その中にこんな個所があった。「一昨年北京の国防大学で歴史認識をめぐって論戦しました。そしたら国防大学の教授が『戦争の責任は双方にあるのに、日本人は、責任は日本にあると決めてかかるので話にならない』と笑っていました」
 本当に話にならない。日本人は国際法に無知である。国際法の世界では戦争は違法でも犯罪でもない。もちろん交戦法規で民間人を殺傷してはいけないとか、残虐な兵器を使ってはいけない、捕虜を虐待してはならないという規定はある。戦争には「自衛戦争」と「侵攻戦争」があり、自衛か侵攻かはその解釈は当事国任されている(自己解釈権)。過去百年にわたって欧米諸国はアジア、アフリカを植民地にし、あくなき収奪をしてきた。それでも彼らはそれを一度も「侵略した」と言っていない。ここに有名な話がある。1928年にできたパリ不戦条約交渉の際、アメリカのケロッグ国務長官は「自国が行う戦争が自衛戦争であるか侵攻戦争であるかは、各国自身が認定すべきものであって、他国や国際機関(裁判所を含む)が決定できるものではない」と言っている(佐藤和男監修「世界がさばく東京裁判」明成社より)。だから平成7年8月15日村山富一首相が「首相談話」で「我が国は遠くない過去の一時期植民地支配と侵略により…」と発表したことは大きな誤りである。自分自身の信条はともかく、一国を代表する首相の発言は慎重を要する。軽率と言わざるを得ない。これに比べると東京裁判での東条英機大将の態度は立派である。「東条口供書」として残されている。そこで東条大将は「私は最後までこの戦争は自衛戦であり、現時承認されたる国際法には違反せぬ戦争なりと主張する」と言い「敗戦の責任については、当時の総理大臣たりし私の責任である」と明確に敗戦の責任を認めている。
 名越さんは幹部候補生として新京の陸軍経理学校に在学中終戦、ソ連に抑留された。その著書「大東亜戦争を見直そう」−アジア解放の理想と花開く武士道物語―(明成社刊)
で「私の体験でいえば、ソ連に抑留された5年間、私の魂は祖国によって支えられました。学生時代に読んだ日本の古典や歴史に残った詩歌が私の胸中に甦りつづけました・・・」という。そして憂国の詩人三井甲之の歌を示す。「ますらをのかなしきいのち積みかさねつみ重ねまもる大和島根を」
世界中どこの国でも戦死者は国家が祀り、その後最新は国民教育の中枢として尊崇の対象となっている。韓国では6月6日を「顕忠日」として国民こぞって戦死者をまつり、その忠節をしのんでいる。靖国神社を教えない戦後教育は明らかに間違っている。
名越さんの遺稿の見出しは一人の戦争未亡人がうたった歌からとられている。その歌は
「かくばかりみにくき国となりたれば捧し人のただ惜しまれる」である。
名越二荒之助さんは今年4月11日死去、享年85歳であった。これまで講演回数は千回を超え講演を天職とみなした。その「名越節」はあまりにも有名であった。

(柳 路夫)

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