安全地帯(197)
−信濃 太郎−
敗戦時の円生と志ん生の生き方
井上ひさし原作・鵜山仁演出・こまつ座の「円生と志ん生」をみる(11月14日・東京新宿・紀伊国屋サザンシアター・12月2日まで上演)。私はこのお芝居は2度目である(平成17年2月・新宿・紀伊国屋ホール)。新作をみる思いがした。昭和の名人はなし家二人、三遊亭円生と古今亭志ん生は昭和20年8月13、14日、旧盆特別公演で大連の常盤座で円生が「三人旅」志ん生が「居残り佐平次」の落語をそれぞれ公演した。それが少佐待遇の満州落語公演の最後となる。8月15日敗戦、8月22日ソ連軍大連を占領・封鎖する。二人は大連に閉じ込められ、帰国までの苦難の600日の生活が始まる。
井上演劇はさりげなく風刺をきかせながら「寸分狂わぬ芸」の円生(辻萬長)と「自由自在に作ってゆく芸」の志ん生(角野卓造)を面白く、おかしく描く。その芸風と裏腹に円生は芝居役者になって生活を立てる。それを潔しとしない志ん生は乞食同然の生活を送る。
よれよれの姿の志ん生(美濃部孝蔵)と白麻上下の円生(山崎松尾)が「委託販売喫茶コロンバン」で会う場面がある。志ん生が密航船で帰国するための費用を円生に借りるためである。5000円の借金のかたに「三代目柳家小さん落語全集」を円生に渡す。漱石全集を読んでいた店番の弥生(大連高女4年生)が「夏目漱石が三代目小さんは天才であるとここに書いてあります」という。「二葉亭四迷は円朝の落語を聞いて原文一致体を発明しました」「わたしの漱石先生は三代目小さんの噺をもとに新しい小説の文体を作り出した。日本の小説の文章のもとをつくったのは落語家なんだわ」とも語る。漱石と落語。私は知らなかった。
ハイライトはカトリック系女子修道院屋上の物干し場である。孝蔵と松尾の会話を聞いて修道女、オルテンシア(森奈みはる)、マルガリタ(池田有希子)、ベルナデッタ(ひらたよーこ)が二人をイエスとその弟子のマタイと間違える。孝蔵は密航船に乗るはずが詐欺にあい失敗したことを「らくだが針を通るより難しいかもしれないな」と言い、泊まり歩いた難民収容所について「門をたたくんだよ。しつこくね。するとたいていは門を開いてくれる」『ひとはパンだけで生きるものではない」という言葉まで飛び出す。「みんな聖書の中の言葉!」と修道女たちは感心する。テレジア院長を交えてのやり取りは爆笑に次ぐ爆笑であった。院長から噺家と何ぞやと問われて松尾は「悲しいことをステキな悲しみに変えちまう」「災難であれ、厄介事であれ、なんでも、ワア、ステキって見ちゃうわけね」と説明し「三代目柳家小さん落語全集」を院長にプレゼントする。のちに名人と言われたこの二人にとって大連生活は見事に芸の肥やしになった。
私には6人の俳優が歌った劇中歌が耳に残った。
「満洲国も消えちゃった
取り残されて見まわせば
こここそは地獄の世界
お先まっくら袋小路
はだかの乳のみ子ひとり
乳房さがして泣いている
横町に行き倒れ五人
・・・・・・・・・」 |