2007年(平成19年)7月10日号

No.365

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茶説

人間は生きるために基本が大切である

牧念人 悠々

 人間は生きるために基本的な知識や体力、弾力がいるのを知った。スポニチ時代からの知人、吉永みち子さんが最近、出した本「子供たちは甦る!」−少年院矯正教育の現場からー(7月10日発行・集英社)は目から鱗が落ちる思いがした。本の中で紹介された広島少年院の向井義主席専門官の話を素晴らしい。日本はこのような人々によって支えられていると感じた。向井さんが宇治少年院にいるとき編み出した「教育プログラム」で少年達を甦生させるのに大きな効果を上げたので「宇治方式」と呼ばれている。向井さんはその生みの親である。
最近の少年の特徴は基本的な力が落ちているという。たとえば、「あいうえお」がきちんといえない子がいる。昔の子どもは小学校に入る前に母親が教えたものである。外で遊びまわっているなら、それだけ体力がつくから小学校で覚えても遅くはない。足し算も引き算もできない。買い物に行ったら損することになりかねないではないか。まして分数などもできない。「窓を3分の1開けて」といわれても3分の1の意味がわからない。子供はどうしていいのかわからないから動かない。大人はまさか3分の1がわからないと思わないから「反抗しとるんか」とか「言うことが聞けなんか」と怒る。本人には本人で「何でそんなこと言われなあかんのや」と逆切れる。運動させても膝と肘の区別もわからない。ふくらはぎも知らない有様である。
必要なことはとことん教え込まなくてはならないのに強い指導の姿勢が薄れてしまっている。人間が自立して生きていけるには小学校4年生程度の基礎学力と基礎体力が必要なのに教育現場で徹底的に身につけられないまま成長している子供がいる。
 矯正教育の現場にいる人たちは少年たちの「学習障害」(LD)にも注目する。知的能力がありながら読むのが遅く、間違いも多く、読み終えたあとの理解度が低いものがいる。授業についてゆけなくなり、失敗ばかり繰り返し、次第にやる気をや真面目さを失っていき、人間不信に陥って自暴自棄になり、非行行為に走ることになる。さらに、ふてぶてしい態度や、理解できない行動や、突然の暴力行為に及ぶ問題少年の背後には、LDや行動のコントロールが苦手な「注意欠陥多動性障害」、対人関係が苦手で社会性が育ちにくい「広汎性発達障害」「高機能広汎性発達障害」などが隠れているのではないかと考える。これらの視点から少年たちの行動や態度がどこから生じているのかより深く把握でき、それによって明確に効果的な処遇をすることができるのではないか。単に非行行動を心的な要因からアプローチするだけでなく、「発達」という視座を加えてその原因を追究しようというものであった。
今の子供たちは体力がない。家ではゴロゴロし外で遊ばないし、塾通いである。筋力が弱い。だからコンビの前でへたり込みように座ってたり、電車の優先席でも平気で座ったりする。施設の中の廊下をまっすぐ歩けない少年が少なくない。集団行進なんてとてもできない。「気をつけ」の姿勢も取れない。肥満著しい少年をみんなと走らせ、「みんなは一人のために」(all for one)「一人はみんなのために」(one for all)の精神で6ヶ月後に体重が60キロ台に減らした実例が紹介されている。今、10キロぐらい平気で走れるようになった少年が「先生、ボク、生きていっていいですか?」「ああ、もちろん・・・」「幸せです」と顔を輝かしたという。さらに一人では50回しかとべない子供がみんなと力をあわせて大縄跳びに挑戦、43名の院生たちが859回成功した様子がビデオに収められている。宇治プログラムの底には「一人の問題はみんなの問題だし、みんなの問題はひとりの問題でもある」という姿勢が貫かれていると吉永さんは締めくくる。子供たちが甦る様がよくわかる。

 

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