安全地帯(178)
−信濃 太郎−
「ミカーチャ、マラジェーシ・・・・・」
名木田恵子著「レネツト 金色の林檎」(金の星社)を読む。主人公海歌(みか)は1986年4月25日生まれ。世界を震感させたチェルノプイリ原発事故の前日である。この日からセルゲイ・マリエニコフ(セリョージャ)の出会いが始まる。セリョージャはベラルーシの16名の子供たちと北海道の里親の元に1カ月間の保養に来た。原発事故は地元ウクライナより70%近くも多い死の灰を降らした。子供たちに病魔をねじふせる抵抗力を体につけてほしいというボランテア団体の熱い願いである。子供たちは「甲状腺、心臓、胃、リンパの異常」を持つ。ベラルーシの人々は「病気の花束」と呼ぶ。
セリョージャ12歳。生きておれば兄の海飛(かいと)は13歳。一年前に不慮の死を遂げる。団体の熱い思いと違って父母は兄の幻を求めているのではないかとみかは思う。「おとーさん!」「おかーさん!」と呼ばれて母の表情が瞬間、崩れ、父のクチビルがふるえる。みかは「ミカ・・・ミカーチャ!」という呼びかけからお顔をそむける。みか11歳。少女の心のうちは微妙である。本当は嬉しいのに・・・。
クライマックスはみかとセリョージャが自転車を引いて坂道を登り家へ帰る途中のシーン。自転車に乗れるようになってまだ5日しかたっていないセリョージャはその上体力もない。少し上がってはしゃがんでしばらく休む。坂の上から悲鳴のような母の声が落ちる。「海歌!なんてことをしてくれたの!」「セリョージャは保養できているのよ! けがでもしたらどうするの!」「海歌、あなたって子はどうして・・・・」
母の手が空を泳いだその瞬間、「ニェット! おかーさん、ミカーチャ、マラジェーシ・・・・」セリョージャが必死に叫ぶ。母ははっとしたように手を力なく下げる。みかはくちびるをかんで夜空を見上げる。満天の星がにじんでいる。マラジェーシとは「いい子」という意味。「ミカーチャ!マラジェーシ」と母に訴え、みかをかばう。ほろりとさせられる。みかのセリョージャの具合を気遣う気持ちもよく出ている。
セリョージャの帰国の日が近付くにつれ父と母の言い争いが続く。「あんな汚染されたところにセリョージャを帰せっていうの」「セリョージャの体内放射能はまだ高いのよ。あと一か月でもすごせたら、きっともっと低くなって・・・・」「無理いうんじゃない。だれだって里親は同じ気持ちなんだ!」「帰したくない」「やめろ!」激してくるととんでもない言葉が飛び出してくる。
「どうしようもないんだ。セリョージャを海飛の代わりにするんじゃない!」「まさか、代わりだなんて!・・・・」挙句の果てセリョージャを約束したからと釣りに連れ出そうとする。海飛を死なせたのは父親が釣りに行く約束を果たさなかったのが原因でもあった。それでまたもめる。みかが思わず叫ぶ。「セリョージャのかわりにわたしがベラルーシに行くから・・・セリョージャはここに残ればいい!」「わたしなんかこの家にいなくたっていいんだから!」口に出してはいけない言葉がでる。本心ではない言葉が出るのはそれだけお思いが深かかったからであろう。「セリョージャなんか、こなければよかったのに!」セリョージャはレネットの種を入れた布袋をみかに置いて帰国した。
母とみかは抜け殻になった。その3日後に東京へ帰る・・・
物語はみかが20歳になった時からはじまる。父がベラルーシに行き里子たちに会って来たと聞いて長い間あっていない父のいる北海道に行く気になる。そこで嫌な自分、醜い自分に直面した夏をさらけだす。読むにつれ何故か、ガラス細工が織り成す清澄な透明感ある爽やかな気分となった。何故だろう・・・
題名のレネットとは林檎のことである。被曝した村が埋められると決まった時、セリョージャの母と祖父がこっそり立ち入り禁止の村に戻り、かごいっぱいのリネットをとってきた。母親はその林檎の種を大切に取っておいた。いつかどこかの大地でレネットが実ればよい・・・そういい残していたという。セリョージャはベージュの古い布袋にのなかにいれて持っていた。母親の死後、その夢を受け継ぎ、お守りのように持ち歩いていた。そのお守りをみかに自分の身代わりとして何もいわずに置いていった。みかにはセリョージャの気持ちがよくわかる。
ベラルーシの村の人たちは世界の他の国々を知らなくても「ヒロシマ」「ナガサキ」を知っている。「だからこそ、日本はがんばって被曝のおそろしさをを伝えなくてはいけないんだ。世界で唯一の被曝を経験した国だからね。被曝した人たちがどんな運命を辿るかよく知っている」という父親の言葉は千金の重みを持つ。それにしても、壊れかけた家族の絆を繋いだセリョージャがまだ元気かその消息を知りたいものだ。みかも同じであろうね・・・・ |