1月10日(旧暦11月22日)水曜日 くもり
ラジオで藤沢周平の遺作朗読に出合う。藤沢周平の娘さんとか、遠藤さんの朗読に耳が傾いた。ペンはペ
ンで仰臥故に出がわるく持ち直さねばならぬ。エーイッ駄目だっ、と放りだしたくなる。放りださないのは
書くのが好きな性分だからだろう。
時間潰しではなさそうだ。ペンが指股に間にある時は人と話したくない。やっとこさ挟んだのだから、一
字でも多く枡目を埋めたいからだ。
昨夜勤は緒方和美寮母。その前日は緒方士から一年ぶりの入浴介護を受けたのだが、出産休暇の後といえ
ど聡明な彼女の仕事は見事。彼女自身は緊張したといっていたけれど、手際よく洗髪まですませてくれた。
心も伴った充実感だった。三人のお子持ちだから学ばせてもらうこと多々。
七日の自省抄に「叩き菜」のことを記したが火祭・「ほんげんぎょう」を忘れていたので、書いておこう
。
七日の早朝、家のきわにかかる土橋の上が祭祀場になった。中心に笹竹が天高く立てられて根元は稲藁が
支えていた。兄がマッチを擦って点火、瞬間、火は燃え上がりごうごうぱちぱちと音、音、音……書き損な
いの習字紙など投げこまれた火の宴は、あっちにこっちにと暁闇に存在をあかす。母たちの幼い頃は、長宮
さんと呼ばれていた長い参道をもつ氏神の境内で焚き、村びとたちが当たりに集ったという。
子供たちは喚び廻ってはしゃいだ。
「ほんげんぎょうにかたらんもんな
青竹割って兵児かかしゅ」と。
母はほんげんぎょうの火をもらって竈に移し、食事の支度にかかった。
朝の味噌汁は「つんきりだんご」と呼ぶ団子汁で、夕飯は「切っだご」。こねた団子を延べ棒で伸ばし、
折り畳んでトントンと細目のうどん状に切るのである。「つみきり」は私にできなかったが「切り」は、わ
れながら巧かった。
楽しい手伝いだった。母が竈の後ろに立って薄く延ばしながら摘み入れてゆく。私は火の番で祖父・善造
に作ってもらったという腰高の藁こしかけに掛けながら竹火箸を使う。 なつかしや。
なつかしや。
感傷過剰症とひとり合点の私の感傷旅行は、母っ子私が側に副う。
今日は十日琴比羅さん。父は熊能宮さんとやらへ詣でたに違いない。戸棚の回転焼がそれを証明していた
。
「お茶淹けて一緒に飲むとが、ほんなこつじゃろばってん、しゅうごつなか」
本卦還りを期に父に抵抗を始めた母の言い分だった。夫唱婦随の逆転である。哀れ哀れの父、母は覚悟を
きめての上だから微動だにしない。わがまま放題の父に、母が可哀想に映っていたわが家。「嫁ごの婚(よ
)び損ねは一生の不作」と居間の敷居ぎわに立つ父の呟きに、私は同情の一片すら湧かなかった。
父の晩年はお寺まいりと念仏、「寝言にまづ(で)念仏じゃん」と母が言っていた。
兄が応召のうえ事もあろうに北ボルネオで没。戦争は終っている九月七日の死ゆえに公報で家族は知らさ
れた。
兄よ、兄上よ!
あなたが生きていられたら。詮ないことながら悼む、惜しむ、愛惜する。
昼からのペンには握力が加わり易い。嬉しくなる。
今日も暮れ色と見えたも道理、早々にカーテンが引かれているのに気付いた。
1月14日(旧暦11月26日)日曜日 快晴
とうとうペン交換、これまで使っていたのは命運尽きてこのペン真っさら……真っさらといえば、そう、
表替えしたての畳みは滑りそうで怖かった……滑ったのは兄上だった。 私と姉は六歳の差、兄とは十六ち
がう。私は二歳になっていたろうか。兄がシコを踏んで見せるぞと片足一番目は無事、もう片方を上げた途
端に滑って尻餅。笑いきれぬように笑った床の間を背のお座敷! 兄在らば八十三+十六=九十九。今の世
ならば、ざらなる数よ。二十年前に母は百五で逝ったではないか。
今日は正月行事二番目の火祭・左義長。「十四日のモーグラ打ち」と口で囃しながら、父は雨の庭畑、北
の庭畑と叩いて廻った。
青竹の先端がふりあげた反動で地面を叩く。恒例の「もぐら打ち」も影をひそめていようか。
夕顔は平田掲子士により終了。ただいま五時。今日のお八つはふかし藷、「いらない」と言ったら豊田寮
母がジョアを。水疱瘡で一週間のお休み明けの今日よ。
さて今夜の眠りは。昨夜勤は主任と内村孝子士でぐっすり昏々。今夜もかくありたし。
志す癩患看取りをなすを得で八十三我せつなきものを
神谷美恵子・乙羽信子・辻奎子の恩愛深きわが世なりしか
亡き人を恋ひつつ一月も半ばなり今日を今とし虔しきかな
出品の格なき歌も歌は歌われみ貶しめ露あらすなよ
夕焼の黄色の正面の白壁を母よ見送り果てて眠らむ
1月15日(旧暦11月27日)月曜日 晴
一月も十五日を迎えたのかと新たな感慨が湧く。この日、母は朝食に小豆の赤飯を炊いた。ふだんは麦飯
ゆえに、お弁当の時間をわくわくごころに待ったもの。何がな誇らしく嬉しいのだ。忘れがたいときめきよ
。
昨夜から今朝にかけての膝の疼きも、大方の原因除去で解消のハレの気分。八十三歳の新春(?)、あん
まりパッとしないが滲みでるものは正直一途、私の魂魄はそこに宿るのか。父母を憶い兄姉をおもい、後幾
年月を生きるのか。
近頃、家族や級友や村びとをしきりに想う。
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