2007年(平成19年)1月1号

No.346

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追悼録(262)

春雨を髪に含みて人と逢う  眠女

  岸田今日子さんとの出会いは、スポニチが演劇集団「円」の親子向け演劇「お化けリンゴ」を平成2年7月から3年ほど「スポニチフアミリー劇場」として開催するようになってからである。この企画は「親子が一緒に演劇を楽しめるように」という岸田さんの発案による。
 平成元年1月、私が7年半ぶりに小倉から東京に戻り、スポニチの社長になったと言うので毎日の山崎れいみさん等が歓迎会を開いてくれた。そこで山崎さんと日本女子大同級生の「円」の演出家、小森美己算と知り合った。毎月1回の会合を重ねていくうち小森さんが岸田さんの「親子劇場」の企画を持ち出してきた。新しがり屋の私は早速飛びついた。スポニチの事業部員もお芝居のお手伝いは初めてのことで道具運びから舞台準備までいろいろ新しい体験をさせていただいた。平成2年7月17日の「お化けリンゴ」の青森市での公演には観劇にいった。打ち上げには岸田さんとはじめて懇談した。気さくな方であった。3年間の協賛が終わった後、わざわざご馳走をしていただいた。情誼に厚い人であった。
 俳句に親しんでいると知ったのは雑誌で岸田さん、冨士真奈美さん,吉行和子さんの三人が俳句の座談会やっているのを見たからである。この時は冨士さんの「乳房にシャワーを弾く力あり」の句に圧倒された。著名な俳人がいくら威張ってもこのような力強くしたたかな句は作れない。岸田さんにも富士さんに負けない凄い句がある。江国滋著「微苦笑俳句」(実業之日本社)で見つけた。「火の気なき炬燵の上の置手紙」(眠女)。この句に対する江国さんの批評はこうである。「な、なんなんだ,これは・・・・『私はもうこれ以上ガマンできません、ながながお世話になりました』と二度も三度も読み返しながら茫然とし手いるご亭主の顔が目に浮かぶ」この句を読む限り怖い人であった。
岸田今日子さんは12月17日なくなった。享年76歳。小森さんから今年の初め脳腫瘍を患っているとは聞いていた。心からご冥福を祈る。

(柳 路夫)

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