2006年(平成18年)12月10日号

No.344

銀座一丁目新聞

上へ
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
自省抄
銀座の桜
いこいの広場
ファッションプラザ
山と私
銀座展望台(BLOG)
GINZA点描
銀座俳句道場
広告ニュース
バックナンバー

安全地帯(164)

信濃 太郎

「じゃかるた新聞」奮戦す

 毎日新聞社会部時代の友人、草野靖夫君(67)がインドネシアで唯一つの日本語の日刊新聞「じゃかるた新聞」を出している。公称4000部。在留邦人1万数千人というからよい読者数である(1ヶ月22万ルピア=約3000円)。だが、赤字経営だろう。新聞は8ページ。記者8人で日刊というのは凄い。よく続くと思う。手元にある「じゃかるた新聞」(11月21日付き)を見ると、ブッシュ大統領がインドネシアを訪問した時で、一面はユドヨノ大統領との会談で埋まっている。左隅に3段見出しで「米軍イラク撤退に備え 3段階の解決策を提案」とユドヨノ大統領の独自の提案を紹介する。「まず大事なのは国民和解、そしてイラク再建に取り組む現政権の強化はもちろん重要だ。第二段階は米軍や連合軍のイラク撤退にあわせて適当な時期に、ほかの治安維持軍を登用する。第三段階はイラク再建のため国際社会をいかに動員するかだ。米国がこれら三つの段階の解決策を統合して検討する必要がある」
 この提案は12月6日に、ベーカー元国務長官の率いる超党派組織の「イラク研究グループ」が提案した「イラク解決の方程式」の内容と比べてみても面白いものがある。最終面の8ページには11月20日から3日間の日程でジャカルタで開かれたアジア刑政財団の第11回世界大会でのインドネシアのウィドド政治・法務・治安担当調整相の演説が掲載されてある。「現象面だけを見て、テロが起きる原因にも向けないと、テロリストは容易に新しいメンバーを育て新たな攻撃を仕掛けてくる」の内容は印象的である。2001年9・11事件の最終謀議は前年1月にマレーシアの首都クアラルンプールで開かれている。この時、会合の場所を提供したのは東南アジア各地で爆弾テロを起している広域テロ組織「ジェマー・イスラミア」の軍事部門の最高幹部であった。この組織にはジャワ島中部のソロにある全寮制の宗教学校出身の若者が多いといわれている。だからこそウィドド治安調整相は「政治、社会、経済、精神などソフト面の対策を充実させる必要がある」と訴えたわけである。
 この新聞のオーナーは中村隆二さん(47)。「暴動時に日本語ですぐ読めるメデアがなくて不安だった」と毎日新聞のジャカルタ支局長だった草野君に相談、8年前に部数100部で創刊した。日本人記者たちは月給が安くても文句もいわず「役に立つ新聞作り」に懸命に働いている。「それは涙ぐましいものですよ」と、アジア刑政財団の評議員で、この大会のためジャカルタへ出張した社会部時代の友人、堤哲君から聞いた。「小さな新聞の大記者たちよ」 頑張れ。心からエールを送る。

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。(そのさい発行日記述をお忘れなく)
www@hb-arts.co.jp