2006年(平成18年)12月1日号

No.343

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追悼録(259)

凍星に亡き妻の名を狂い呼ぶ (米津対山)

  俳句はかくも悲しいものであろうか。妻と長男を相次いで失った米津対山さんの句集「雪と舞う」(自鳴鐘・間程シリーズNO6)を読むと胸が痛くなる。米津さんは妻妙子さん(享年75歳)を平成16年12月27日に、その1年後の平成18年1月31日、52歳の長男泰秀さんをそれぞれ亡くされた。自鳴鐘の副主宰、寺井谷子さんはその「序」で「この一集は対山さんの嘆きの淵からの妻と息子への経である。朝な夕なに捧げる『五七五』の経である」といっている。私には慟哭に響く。

  心搏ゼロその時窓に風花が

 『ご臨終です」ドクターの凍る声

 黄泉に発つ妻はんなりと寒の紅

 寒灯に安らぎの死顔まだ柔ら

 天界の階のいづこに雪女郎

 米津さんは今年80歳。学徒出陣もされる。戦後は110余年続いた老舗を継がれた。73歳で高野山で修行、僧侶となる。自鳴鐘に入門は平成15年12月から。俳句は関心を持っておられたようで、やっとよい師匠に恵まれたようである。
私は米津さんよりは1歳年上である。戦前は軍の学校に入った。敗戦で新聞記者となる。社会部のデスクより俳句を勉強せよと教えられる。俳句の本を読んだが俳句は作らなかった。6年前から寺井谷子さんの押しかけ弟子となる。米津さんの亡き妻を思う心に感動する。

 漢独り慣れぬ水仕に春寒し

 春愁や日増し濃くなる妻のかげ

 「只今」に応へ戻らず春の暮

 逆縁とは悲しいものである。私は120歳まで生きるつもりで居るので何れ娘(54歳)、息子(51歳)は先に行くものと覚悟している。これも人生である。

 「父さん死んだ」凍りの刃受話器より (平成18年1月31日長男急逝)

 急逝の子に頬摺れば外は雪

 孫の抱く骨は吾が子ぞ寒茜

 米津さんは後書きで「出家させて頂いたお蔭で今のような逆境下でも『俳句』と共に力強く生きてゆきたいと思います」と決意を述べられている。私には何もない。あるとすれば「もののふの心」か。

  再びの柩の側の夜今年も雪  対山

(柳 路夫)

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