2006年(平成18年)7月10日号

No.329

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(10)
オカリナ職人 藤田 東悟

−ど ど め−

 

  先日久しぶりに「どどめ」を食べました。「どどめ」と言う言い方は群馬の方言なのかは分かりませんが「桑の実」のことです。群馬県は過っては繭の生産が非常に盛んで、繭をつくる蚕のことを「かいこ様」と呼び大事に育ててきました。いまでも田舎に行くと2階で蚕を飼っていた農家を見つけることが出来ます。東北で農耕馬を家族として大事にした曲屋と同じで「かいこ様」も大事に育てていたのです。何十万匹の蚕様が一斉に桑の葉を食べるのですから数匹ならば音などしませんがザワザワと音を立てて食べ、静かな夜はかなりの音がするそうです。私は蚕を手に持ったとき蚕の軟らかさが大好きですが嫌がる子供達も多くいるそうです。今世界遺産に登録申請している「明治の文明開化」の徴証「富岡製糸跡」が過って群馬県が養蚕業の盛んであったことを物語っております。昔は桑の木はどこにでもあり、手入れも行き届き綺麗になっており、「どどめ」を付ける暇も無く刈り取られ蚕様の餌となりましたが、今生糸は輸入品に押されて蚕を飼っている農家は激減しております。そのためにあちこちに放置された桑の木が伸び放題の状態で在り、平家の栄枯盛衰を感じさせます。

 私の小さい頃は今みたいに豊富な果物など無く、あっても一般庶民には手の届かない高価なものでした。バナナの美味しかったこと、それも一本まるごと食べられず家族で分けて食べた覚えがあります。それ程現在とは比較にならないくらい果物の種類と量は少なかったのです。そこでお金の無い子供が口に出来たのは切り残された枝にわずかに実を結んだ「どどめ」。黒紫に色付いた実、紫だとすっぱみがまだ有り黒紫を探して学校の行き帰りに食べました。その頃は今みたいに化学肥料も少なく人糞を肥料として使用していた農家が多く、赤痢、回虫などが発生しておりましたので、母親からは「どどめ」の季節になると食べてはいけないときつく言われておりましたがそれは男の子供のこと想像が付くと思います。ただ困ったことには美味しい「どどめ」程黒紫で食べた証拠に手、口の周りに紫の証拠が残ってしまい洗っても落ちず何回と無く見つかり怒られたものです。最悪の場合服に汁が付いたときで洗っても紫は落ちず怒られてしょげているだけの自分を思いだします。きつくしかってくれた母も今もまく。そのような甘酸っぱい思いの一杯詰まった「どどめ」でした。

 藤田氏のオカリナ紹介サイト(販売もあります):
   http://www18.ocn.ne.jp/~tougo/

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