2006年(平成18年)6月20日号

No.327

銀座一丁目新聞

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茶説

出処進退というもの

牧念人 悠々

 出処進退は難しい。問題が起きて辞めるか辞めないかの判断はなかなかつきにくい。原則的には本人が決めるものであろう。村上ファンドに1000万円出資した日銀福井俊彦総裁に対して新聞の論調は厳しい。私は6月14日の「銀座展望台」にこう書いた。「七年前の富士通総研時代のことであり、内規に触れないとはいえ、人を見る目のなきを恥よ。私など村上世彰(46)を初めからうさんくさい男とみていた。阪神株に手を出してから憎さ百倍に達した」
 思い出した。スポニチの社長時代、新しい会社への出資の集まりがあった。出資金は1000万円であった。親しく付き合っていた知人の進めであった。7、8人が出資に応じた。2人だけが断った。私ともう一人の財界で活躍していた有名な社長であった。私が断ったのは新会社の社長の顔相からである。勘である。もう一人は良く調査して事業が上手くいかないと判断した上のことであった。この事業は結局上手くいかず出資金は総て出資者に返却された。福井総裁は村上世彰の志を買い、激励のために出資したわけだが、新聞が問題にする運用益はどうでもよい。志を持った男の実態は「総会屋」と何等変わるところがなかったという事実である。人は予測できなかったという。上に立つ者はあえて予測しなければならない。だから私は「人を見る目のなきを恥よ」といったのである。別に辞めよとはいわない。
 日銀総裁は他国の例を見ても株やファンドから遠ざかっておかなければいけないようだ。金融政策の最高責任者だから当然であるなどとはいわない。私は福井総裁を君子として判断したい。二千数百年前に孔子はこういっている。「君子は義に喩り、小人は利に喩る」(里仁第四・十六)「利を見て義を思い」(憲問第十四・十二)「義を行って以ってその道を達す」(李氏第十六・十一)「君子は義を以って上を為す」(陽貨代十七・二十)
孔子はこうも言っている。「過ちては則ち改むるに憚ることなかれ」。

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