2006年(平成18年)6月1日号

No.325

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花ある風景(239)

並木 徹

人間の高貴とは何かを問う

  作/ヘンリック・ヨハン・イプセン、訳・演出/安西徹雄、演劇集団「円」公演「ロスメルスホルム」を見る(5月18日・浅草・田原町「ステージ円」)。今年はイプセン没後100年。5月23日が誕生日である。きわめて難解な芝居であった。それでも心に残るものがあった。イプセン(1828〜1906)は20台の時フランスの2月革命が起き、その影響がヨーロッパに広がり、自由と保守が激しく対立した時代であった。もちろん女性も解放を求めた。その中で自由と自律を目指す男と女の間柄がひとつ屋根の下で暮らしながら本人達が「共同生活」と言っても、果たしてそうなのか・・・
 イプセンは言う、「金銭や知識、才能や能力による高貴さでなく、人格、精神、意志の高貴さです。それのみが我々を解放するに足る」男と女の間に友情が成立するのはお互いの人格を伸ばしていく時であろうか。劇でもノルウェー西部の小さなフィヨルドの町外れにある古い屋敷ロスメルスホルム家に住む、レベッカ・ヴェスト(佐藤直子)はヨハネス・ロスメル(藤田宗久)に官能的な欲望を抱いたことを告白し、ロスメルとの共同生活で心が浄化されたと言う。結婚を申し込まれても心の中で息が詰まりそうに喜びながらも断る。それは心に罪を抱いているからである。ロスメルの妻ベアーテを死に追いやったからである。ロスメルはレベッカに愛情の証拠を見せよとせまる。その証をと、二人は心中する。死によってロスメルに「信じる力」がもどり、レベッカはその手伝いをする結末となる。「高貴な心中」と表現すべきか。日本にはこのような心中の発想はない。
 「ロスメルスホルム」の出版は1886年11月、初演は翌年の1月、このとき、心理学者フロイトは30歳。精神分析学者たちがイプセンのこの著作に注目したのはうなずける。レベッカの科白の中に「死んだ者は白い馬になって戻ってくる」という言葉がある。白い馬は不吉な凶事な予兆である。演出の安西さんは大詰めでレベッカが大きなショールを頭からかぶるシーンがある。そのショールも死を予兆しているという。もともとこの白いショールは第一幕の初めに彼女が編んでいたものである。イプセンは劇作を書くはじめから死の道具立てを考えていたといえる。フロイト流に言えば潜在意識がそうさせたと言うであろう。「燈台の光」の編集長モンテスゴール(石住昭彦)のロスメルの利用の仕方は今のマスコミとなら変わらない。教会を捨てた自由思想家、ロスメルでは宣伝価値がない。牧師のままでなくては意味がないのである。逆に校長クロル(ベアーテの兄・太谷朗)が「郷土新聞」にロスメルの悪口を書くのも今も昔も同じである。100年たっても人間は進歩していない。男女関係はそれ以上に変わっていないのではないか。同じ円周上をぐるぐる廻っているに過ぎないと作家渡邊淳一さんは言っている。

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