2006年(平成18年)5月1日号

No.322

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花ある風景(236)

並木 徹

佐久市長碑前祭に参列す

  恒例の長野県佐久市の権現山の碑前祭に今年もまた参加した(4月21日)。今年の参加者は北海道、石川、富山からきた同期生もあって44名を数えた。例年の倍以上の参加である。これは権現山周縁を公園化しようという動きがあり、同期生に関心をもってもらおうという意図があるからであった。つまり南御牧村村長依田英房翁が私財を出して立てた「皇居遥拝跡」(昭和41年)と私たち陸士59期生が立てた「依田英房翁顕彰碑」(昭和62年4月)を中心に植ええられた100本の櫻があるこの権現山一帯を公園にしようという話である。前日の本部幹事会の席上、渡邊瑞正君が『我々はどういう心構えで参加すれば良いのか』と質問した。この平和な時代、その動機がどうであれ元村長が立てた「皇居遥拝跡」とその顕彰碑のある場所がどうの様にして公園化と結びつくかという疑問でもあった。私がここに来るのは依田さんの志に感謝するためである。碑を建てるための費用は依田さんがコツコツとして貯められたものである。しかも戦後21年たった昭和41年に建てられた。その趣旨は「士官学校生徒の殉皇の姿を世に伝えることによって日本再建の糧とし青少年への訓えにしようとされた」のであった。その2年後の昭和43年9月、88歳で亡くなられた。翁が最期に果たした仕事でもあった。碑に曰く『八月十五日万世泰平ノ聖詔ヲ奉ジテ遂ニ皇軍悉クガ矛ヲ止ムルニ至ルヤ当隊亦斯ノ山上ニ慟哭解隊シテ遂ニ四散ニ及ビタリ爾来茲ニ二十年刻シテ其ノ芳ヲ後昆ニ流フ」慟哭して解隊して四散した同期生たちは挫折にめげず日本再建のために『士官候補生の矜持』を捨てずに懸命に働き各方面で活躍した。この権現山に立ち依田翁の遺徳をしのぶのみである。ありの姿のままを見せればよいのだと思う。
 この日来賓として出席した三浦大介佐久市長は「昨年合併して10万都市となった佐久市としてもこの地を公園として市民の憩と交流の場としたい」とあっさりその実現を確約された。権現山の遥拝所で軍人勅諭を奉唱し、遥拝していたのは13中隊の同期生でこの日は9人が来ていた。二次会はいつもと同じく足利時代からの老舗「佐久ホテル」。割り箸の袋には市川万庵の書があった。遠方からきた同期生もおり、話は何時までも尽きなかった。先日、東京・銀座で開かれた渡邊瑞正君の家族展であった別所末一君から阪神大地震の記録を頂いた。今回、首都圏の同期生のために清水廉君が大型バスを往復用意してくれて助かった。そのバスの中で西村博君が「人生70才より」のシオリを見せてくれた。其の裏にあった文句「ボケたらあかんで/毎日うごき/心おだやか/趣味たのしんで/シッカリ長生きしなはれや」西村君も長生きするつもりらしい。今年もまた実りの多い碑前祭であった。

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