2006年(平成18年)4月20日号

No.321

銀座一丁目新聞

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追悼録(236)

「小坂主和子さんを偲ぶ」

  日比谷松本楼の小坂哲瑯社長夫人、小坂主和子さんがなくなった(4月10日・享年67歳)。葬儀ミサと告別式が4月12日四谷の聖イグナチオ教会で執り行われた。
 松本楼の店でよくお会いしたが、挨拶程度で主和子さんをよく知らなかった。もう少しいろいろ話を聞いておけばよかったと悔やまれる。心優しい人で日比谷公園に捨てられた猫や犬を拾ってきて育て、時には30匹ほどになったこともある。小坂社長の話に寄れば4年前に梅屋庄吉と孫文回顧展を開催したが、その準備に心血を注いだという。「君は兵を挙げよ われは財貨を挙げて支援せん」と、孫文を励ました梅屋庄吉の孫ともあれば当然であろう。白金の自宅には資料室が設けられ、庄吉、孫文、、孫文の同志、彼らを支援した宮崎滔天、菅野長知、平山周等日本人の写真、遺墨、手紙類などの多くの貴重な資料が展示、保管されている。それをすべて彼女が取り仕切っていた。祖父庄吉は3つの信念を持つ。1、この手によって造らざる富は多しといえども貴(とうと)むに足らず 1、世の中はもちつもたれつお互いに助け合うこと人の道なれ 1、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。昭和14年、上海で生まれた主和子さんにもこの信条は体に伝わっていたであろう。
 葬儀ミサで主の祈り(6―9〜13)を唱える。その前に有名な「右手のしていることを左手に知らせるな」(6−3)の言葉がある。善行するなら隠れてやれということである。主和子さんはそれを実践されたようである。主の祈りが終わるとみんなで「アーメン」という。神道の私にはこれがまことにいいにくい。聖書にはいい言葉が一杯ある。このあとイエスは「もしもあなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの父もあなた方をゆるしてくださるであろう」と寛容を説く。
 告別式では聖歌「いつくしみふかき」が歌われる「いつくしみ深き 友なるイエスは/罪とがうれいを とり去りたもう/こころのなげきを 包まずのべて/などかはおろさぬ 負える重荷を」キリスト教形式の葬儀も聖歌を歌わず静かに聞けば心にしみてくる。12日の夜、私はしみじみと聖書をひもとく。亡きマリア主和子さんのおかげである。

(柳 路夫)

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