2006年(平成18年)4月1日号

No.319

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茶説

常に最悪の場合を考えよ

牧念人 悠々

 ぎすぎすした世の中になった。己の非を棚に上げ他人の非を批判し、あげくには裁判沙汰にする。直ぐに切れて赤ん坊をいじめたり、少年をマンションから突き落としたりする。「抑制なき社会」になった。
 1999年7月、盆踊りの会場で4歳の男の子が転び、綿あめの割り箸がのどに突き刺さり死亡する事故があった。手当てした病院の医師が割り箸が脳まで達していたとは思わず喉の単なる裂傷と診て帰宅させた。翌朝、容体が急変して、その罪を問われた。東京地裁は3月28日医師の過失を認めた。その際、脳神経外科医が診たとしても救命や延命の可能性は低かったとして無罪の判決を下した。
 川口政明裁判長は付言で「死亡した子供が遺したものは『医者には真実の病態を発見する上で必要な情報の取得に努め、患者に適切な治療を受ける機会を提供する事が求められている』という、ごく基本的なことである」と指摘した(産経新聞)。「基本に忠実であれ」とはよく言われることだ。だがこれを実行するのがきわめて難しい。ついつい惰性に業務が流されがちである。病院だけではない。なすべき基本動作は「常に最悪の事態を考える」ことによって生まれる。この事故以来、救急現場ではCTスキャン撮影を行うようになり、その教訓は生かされている。
 遺族はこの「無罪判決」に『理解できぬ』『無罪・・・凍りつき体中の血が止まった』(毎日新聞社会面見出し)と悔しさをあらわにしたという。新聞は遺族に同情的である。酷な言い方であるが、遺族にも『常に最悪の事態を予測せよ』といいたい。盆踊りの雑踏の中で子供が転んだ場合に、割り箸が喉に突き刺さるのではないかと考えなかったのか。自分の子供を守りえなかったのは親自身である。あめ玉でも与えておけば事故は未然に避けえた筈である。これも親たちへの事故防止の教訓である。
 今、日本の医療現場は荒廃している。「医は仁術」はすでに死語となり、離島医療を希望する医者はなく、救急現場は人手不足で激務を余儀なくされている。最高裁の統計によると平成15年に全国の地裁で新規に受理した医療事故を巡る民事訴訟は987件、平成6年の506件に比べて大幅の増加である(産経新聞)。背景に医者への不信がある。『抑制なき社会』の根は深い。

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