2006年(平成18年)4月1日号

No.319

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安全地帯(139)

信濃 太郎

 打つ布石には意味がある

 ある会で東海大学名誉教授、元社会党衆議院議員、河上民雄さんと知り合った(3月11日・「きりたんぽの会」)。後日その著書「社会党の外交」(サイマル出版会・1994年7月発行)をいただいた。12年前に出された本だが、教えられるところが多かった。1978年飛鳥田委員長を団長とする北朝鮮訪問団が共同声明を出した。このとき、共同声明を出そうと言い出したのは飛鳥田委員長で、内容にも韓国を傀儡政権と匂わす箇所もあって帰国後問題となった。社会党の執行委員会で「どちらがさきに言い出したのか」追求された委員長は「鐘も撞木の当たりから」を引用して、あうんの呼吸でそうなったと説明して事なきを得たとある。学ぶべき駆け引きである。河上さんがアメリカ通であることを知ってタフ・ネゴシエーターの金永南さんが密かに訪ねてきて立ち入った話しをした。河上さんが推薦したアメリカの下院議員や学者を北朝鮮が招いた。北朝鮮もそれなりにアメリカについて勉強をしている訳でこの態度は今なお変わるまい。そうだとすると、侮るわけにはいかない。北朝鮮との交渉に当たって、勝海舟がいう「誠心正意」「余裕、思慮、胆力」の心構えを何度となく言い聞かせたという河上さんの気持ちはこれからの北朝鮮との交渉でも必要であろう。
 第二回下田会議(1969年9月)が開かれたときの河上さんの思い出話は興味深い。この年の8月、ニクソン大統領がルーマニアを訪問チャウシェスク大統領に会っている。そのことを来日中のニクソン大統領の側近と知られるラムフズェルドさんに質問すると「出発前日まで国務省は反対でした。しかし、大統領はキッシンジャー博士の強い助言で飛び立ったのです」と答えたという。当時ルーマニアは中国とも関係がよく、ソ連ともよく、西側とも良い世界でただ一つの国であった。ニクソンのルーマニア訪問はそれ自体に意味があるのではなく実は中国の門をたたく旅であったのではないかとというのが河上さんの結論であった。「打つ布石に意味あり」である。アメリカが日本の頭越しに中国と国交を結ぶのはそれから3年後の1972年5月である。この間河上さんは米中接近の近いことを主張つづけるが外務省すらばかにする有様であった。先見の明のある人はいつの世でも狂人扱いにされる。中国接近にはフランス・ルート、パキスタン・ルート、ルーマニア・ルートがあって、アメリカは最終的にはパキスタン・ルートを選んだ。パキスタンはソ連が肩入れするインドと対立する反共国家であり、最も安全と中国が判断したからではないかとみられている。ここで私は一つの原則を得る。「アメリカの大統領の外国訪問を注意せよ」。この本で河上さんが毎日新聞で一緒に仕事をした関口泰君(故人)と旧制静岡高校の同級生と知って親近感が増した。

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