1998年(平成10年)5月20日(旬刊)

No.40

銀座一丁目新聞

 

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茶説

百年の響き「筆に声あり」

佐々木 叶

 道後温泉につかったあと、近くの子規博物館を訪ねた。折よく「子規の俳句と詩歌特別展」をやっていた。ガランとした会場に人影はなく、久々に、ゆっくりと子規との対面を楽しむことができた。

 帰りがけ、売店で「子規歳時」という一冊が目にとまった。朝日新聞松山支局が、昭和三十年から一年がかりで、毎日、愛媛県版に載せた句彙だった。四季折々の俳句と、子規の性行、言行、逸話、文績などが断片的にちりめられていた。パラ、パラとめくっているうち、次の一句が、ハッと胸をついた。

 「筆に声あり 霰の竹を打つ如し」

 明治三十一年(1898年)十二月三日の作。この一句に「子規を一俳人、ただの俳句の先生とのみ見ていた者は、新聞記者としての子規の活躍ぶりの多芸多能と、敏感、適応性に驚愕した」との門人、河東碧梧桐の一文が添えられていた。

 「筆に声あり」。子規は、新聞「日本」の記者でもあり、日清戦争にも従軍した。俳句の革新に情熱を燃やしながら、理性は竹を打つ霰のように鋭い響きを失わなかった。百年前の子規の記者魂が脈々と、この一句に生きていた。

 さて、いまの新聞記者や新聞人は、この一句から何を汲みとればいいのか。例えば、日米軍事協力の新ガイドライン。空港、港湾ばかりか、全国の公立病院まで、米軍負傷者の収容を義務づけている。米軍が戦争をすれば、公立病院は米軍の野戦病院になり、日本人の入院患者はハジキ出されてしまう。あの太平洋戦争中の日本軍部でさえやらなかった“暴挙”を、防衛庁は唯々諾々と取り決めてしまった。防衛庁は、日本の役所なのか、それとも米軍の下請けなのか。

 政治家は“腐敗抜き”の倫理法案に専念し、新ガイドラインの「亡国性」を論じない。新聞も逐條的な批判に終始している。「筆に声あり」は百年前の子規。いまの新聞に「声」はあるのか。

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