2005年(平成17年)9月20日号

No.300

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追悼録(215)

「写真に自分なりの彩を加える」

  写真家、鬼海弘雄さんは法政大学教授で哲学者、福田定良さんの弟子である。福田さんに紹介されて「カメラ毎日」の編集長であった山岸章二さん(故人)と会ったのが写真家になるきっかけであった。その鬼海さんが毎日新聞(9月7日)で恩師、福田定良の遺稿集「堅気の哲学」(藍書房)を「一人でも多くの人に読んで欲しい一冊です」とあげながら次のように語っている。「スポンジのように何でも吸収する写真に自分なりの彩りを加えて表現できるようになるには長い年月が必要でした」
 いい言葉である。私も与えられた仕事に常に何かプラス・アルファを付け加えることを考えた。うまくいく場合とそうでない場合があった。プラス・アルフアをつけることはそう簡単ではない。経験、蓄積、研究、勘などを必要とする。「生涯勉学」である。
 鬼海さんは昨年第23回「土門拳賞」を写真集「PERSONA」(草思社)で受賞した。福田さんはすでに亡くなっていた(2002年12月死去)ので授賞報告が出来なかったのを残念がっていた。そういえば「土門拳賞」は山岸さんが「カメラ毎日」の編集長時代に生まれた。私が出版担当.出版局長であった。私はすっかり忘れていたが「土門拳賞」の発案者は、毎日新聞写真部にも在籍したことのある写真家、江成常夫さんである(第4回「土門拳賞」授賞)。最近、江成さんからきた手紙で思い出した。彼が毎日新聞を退社後、1980年、銀座の「ニコンサロン」で開いた写真展「花嫁のアメリカ」の会場で私に「土門拳さんを顕彰する賞をもうけてはどうですか」と進言した。私は即座に「それはいい案だ。毎日新聞百十周年記念(1982年2月)事業にもなる・・・」と取り上げたのであった。賞が設けられてからすでに24年たつ。いまや土門拳賞は広く社会に認知され写真界の大きな存在になった。江成さんも10年ほど前から選考委員になっている。土門拳さんの写真集「筑豊の子供たち」(1960年)もそうであったが、江成さんや鬼海さんの写真から「写っている人たちから生きることの深遠さがじかに伝わってくる」(鬼海さんの発言・毎日新聞)写真はそれを写す人の鏡であるともいえる。土門拳さんは1990年(平成2年)9月死去された。享年81歳であった。

(柳 路夫)

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