北海道物語
(17)
「大雪山の紅葉」
−宮崎 徹−
北海道の秋は駆け足で訪れて慌ただしく去って行く。文化やスポーツの催しが集中して行われ、爽やかな秋日和が続き、心を癒す本州の秋とは違うのである。
中秋の名月が終わると大雪山の初冠雪も近づき、色づいた山の樹々も駆け足の早さで下界に降り始める。紅葉の美しさは、夏に好天が続き、秋に成ってから急に冷え込む年が良いと言われている。今年の旭川は夏に天気が良く農作物も豊作のようだ。そして九月の十四日には急に市内は冷え込んだ。東京が34度なのに旭川の最高は15度。夜は東京が未だ熱帯夜なのに、旭川の最低は11度だった!
熱帯では効率よく光合成をするので緑を保ち、紅葉しない。温帯の常緑樹も光合成のバランスが良くて紅葉せず、光合成をやめて葉を落として越冬する木が紅葉する。夏の好天の日中、葉緑素が光合成の働きをして葉に栄養分を沢山蓄えて、此の養分を冬の間に生きるためにせっせと茎や根に送り込んで行くのだが、夜間の急激な冷え込みで、葉の付け根と茎との間に離層、つまり移動にストップがかかって、葉にたまる栄養素の
糖分はアントキシンという赤い色素をつくり、紅葉となるのである。もともと植物の葉には緑の色素を中心に、赤の色素、黄色の色素をいろいろな比率で持っていて、緑の色素が秋になって消えて行くと、赤や黄の色素が色々組み合わされて、見事な秋色をつくるのである。
本州から旭川に転勤して来た公務員や会社員の方々は、この大雪山の紅葉を、文句無しに褒める。本州の紅葉の名所はスケールが小さく、色も単色で濃淡が有る程度、とても比較にならない。この雄大な山岳の中の紅葉とは条件が違うので、カラー画像での画素が増え、映像・スクリーンも大型化し、やがては立体化が進むと、大雪山の雄大さと美しさは紅葉の時だけではなく、四季を通じてその見事さが更に知れわたることになるだろう。
大雪山連峰は標高は2200m程度の高山だが、高緯度の関係で森林限界は1400m程度と低い。此の限界線の上は高山帯と言って高山植物が生え、その下の亜高山帯には、ウラジロナナカマド等の紅葉樹、カツラ・シナノキ等の黄葉樹、黄褐色のミズナラ・ハルニレがトドマツ・エゾマツ等と共生している。自然林だから混交林であって山の斜面に濃淡を交えながら、色を重ね、温度が下る度に、日毎の紅葉の色合も変わって来るが、森林限界の上の高山植物もハイマツの緑、チングルマの赤等、鮮やかな色彩となって、大雪山の秋を彩るのである。
今の時期、大雪山で一番有名なのは大雪高原温泉で、地元だけではなく、道内・道外から紅葉狩りのファンが押し寄せて来る。此の期間は自家用車を規制して、駐車場を設け、国道からの入口にシャトルバスを用意して運行する。此の温泉は大正年間に発見された自然湧出のものだったが、昭和29年の洞爺丸台風の通路となった大雪山の風倒木処理のために林道の開発が進み、周辺の絶景を観る人達の為に当時の国策パルプの所有する山荘が整備された。標高1230m、すでに高山植物帯に近い。ここから大小30の沼をめぐり、7.5kmの登山歩道を歩くコースが人気である。途中に二つの花畑がある。此の辺は羆も混住共生する地帯でもあり、本州の月の輪熊より大型で気も荒いので、接触トラブルを避けるために、コースの登山口に、高原温泉ヒグマ情報センターがあり、ここで受け付けないとスタート出来ない。早朝、夕方の入山は止められていて、いわば時差出勤をしながら、お互い事故が無いようにし配慮されているのである。
昭和天皇が昭和43年9月北海道行幸のみぎり、旭川のホテルからわざわざ高原温泉にお立ち寄りになられた。高山植物の研究にご熱心な陛下は、ダイセツヒナオトギリという大雪山の固有種である黄色い花を持つ植物を御覧にお出でになったのである。氷河期から温暖期への気象変化の中で、大雪山特有の環境に適応した特産種の一つの此の植物は、山荘の後ろに
生育していて、此の斜面に、はいつくばるようにして、お付きの北大教授T氏とお話される陛下のお写真を拝見したことがある、昭和を生きて見送って来た私達には、陛下の研究に励まれ、親しく現地の者と話し合われる御姿を、心から貴くうれしく思えるのである。
千島・カムチャッカ方面、シベリア方面、南方の本州方面の三方からの交流点に位置し、神奈川県とほぼ同面積の広大な大雪山国立公園には間もなく、早々と冬が訪れ、紅葉は愈々下界に降りて、旭川では石狩川に面する神居古潭の紅葉風景に移って行く。街には冬の前触れとなる白い雪虫が飛び交う頃、山は眠りに入り、人は冬支度に忙しくなる。 |