2005年(平成17年)4月10日号

No.284

銀座一丁目新聞

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自省抄(26)

池上三重子

    3月3日(旧暦1月23日)木曜日 雨

 雨の音? 耳を澄ますが、今は聞こえない。「明日の予定だったけど雨マークなので」と、妙子先生がお見えになったのは昨日。ほんとに雨のおひな様となった。三月三日。ことばの響きもひらがな、優しい美しさに聞こゆる情緒にんげん私の満々の稚気よ! 愛しさよ! ではある。
 母は、「おひなさんな(は)、出してやらんと泣かっるげな」と、来る年ごとに、二階に蔵う姉の一対の木の箱を下ろして飾ってくれた。旧暦の行事時代だから、石垣の上に咲く二本の桃の花は盛りか、やや過ぎかかる頃おい。美しかった。「橋の上を来る眺めは立ち止まって見ゆろごつ、佳か眺めじゃった」と、母の言葉が甦る。太陽暦では桃の花も店屋物で、今、部屋の瓶に挿すのは初ちゃんの茶花の桃、そしておなじく副うているのは三椏と万作。ももいろ、しろ、きいろだ。
 妙子先生におめもじできてよかった。
 先月お訪ねがなく今月にずれたのは、ぼやが原因。先生の母屋と漬物を置く小屋は離れているそうで、早さばけの私が「放火?」と口ばしれば、「いいえ、漏電」とこの言葉だけはいとも静かだった、と思い出しつつ微笑よ。
 ああ喋った、喋った。
 妙子先生もお喋りお喋り。
 元来、つつしみ深い言葉をえらびえらびの型とお見受けしてきたが、胸に畳みこんでおられることも、お齢のせいの弁々。私もまた遠慮なしの弁々、よかったなあ。母が聞いていたら「おっ奪りぐっちょんごたった」と言うにちがいない。旧同僚の二従姉妹だが、親しくなったのは私が婚家を去って下田町に転居し、母と二人の暮しになってから。毎月一回の欠かしないお訪ねを、甥の隆昭はいつも感嘆のおももちで聞いている。
 本当によりよき先輩とのご縁! 父方の二従姉ながら先生は美貌で、若いころは人目を惹いた。私が初めておめもじしたのは小学生の頃。お使いからもどって、母に誰が受けとられたかと訊ねられ、「塗り満てたごと美しか人じゃった」とこたえた記憶がある。
 しみじみとした情感やあたたかい心のふくらみを、あまたの人に恵まれた人生に謝念よ。読書家で頭脳すぐれ、記憶力はやや減の情況ながら、健康なお体同様すばらしい精神活動に賛歌、これ賛歌! お互いに隔意なく腹蔵なく我勝ちにお喋りできるとは。本当にほんとに我が世の春よ。藤原道長よ。
 今朝、食後から今こうしてペンに替えるまで、白州正子さんの「西行」をひらいていたのだが、山山修験道という語に全くまったく久しぶりに、ヤンボッサンと呼んでいた修験僧の寒行を思い出していた。
 木佐木村在のお坊さんと記憶している。一散走りに北の方から往還一本の村道を駆けて来た荒い息づかいが、ザンブとばかりバケツの水を己が身にぶっかけては、またひたすらばしりに橋越えて隣の小入部落へ……。
 ヤンボッサンが山伏の修験僧で表に出しておくバケツ満杯の水は、修行の寒行と知るには歳月が必要だった。学校が休みの日であったろうか、男の子たちがぞろぞろ従いて走るすがたも甦る。
 小肥り赤ら顔の丸い一塊と見えた面影はゆとりをもって童女私と目が合うとき、団子が花と化してはじけ咲いた。
 何度か野口春雄さんと話題にしたことがある。彼は小学同級生。にこにこと明るい学童だった。透明感あふれていた童像は老いて天草へ何回も愛車で、しかも知人友人を同道してくれた。松永勝巳先生、木村正雄さん、北原つる代先生、松永チトセ先生と多彩だった。すべては故人。勝巳先生は大腸癌だった。先立った奥さんの下へ早く逝きたいと切実な訴え……やさしく慰めるべきを私は、勇気を出して、みたいな阿呆な返信。若い稚気は慚ずかしい限りよ……。

 今日は楽しいひな祭り。
 雨は降りみ降らずみの天候ながら、私は昔ながらの稚気充ちみちて気分はももの花。小さい時から桃の花大好きの私は、井川の東に西にそれぞれ老木の桃が花色に染めた樹下に、ももいろに染まりつつ遊ぶ童女。
 西行の吉野山の桜恋いは高雅な作品に象徴されて後世びとを惹きつけているが、私の桃の花恋いは花そのものに似て極めて庶民的、したしみやすい田舎娘に喩えたら、花に失礼かな。
 姉のおひなさんは優美だったなあ。お公卿さん、お姫さんと呼んだ大きな箱びなは、祖父が水田天満宮で選んで贈ってくれたものだという。
 母はこの一対のひなをしっぽく台に載せ、手前に置き揚げ人形を並べて、毎年、欠かす一手なく飾ってくれた。「何でん無かが一番(いっち)良か。みいちゃん、おまや嬉しかばあっかりばんでんない(ね)」と言い言い、おひな様用の小さな可愛い菱餅、丸餅を餅の草と白の二種でこしらえ、お盆それぞれに供える。桃の小枝に菜の花は姉の花器に投げ入れ式。
 私はその前にじっと座って眺め入る。お座敷は明るい部屋に変貌し、襖絵の仙人も親しみ俄かの人物になって対面したものだった。
 只今お八つ、大曲士の介助。楽呑の底に見かけは五 ぐらいながら、飲めば充分の量。甘酒も大好き。かわいい小袋のひなあられは母にお供え。昼食は豪華版だった。管理栄養士平川さんはこの日に限らず工夫、研究のあと見え透いて一瞥うれしくなる。ほんとに母の言通り、幼女変じて姥となるも「嬉しかばあっかり」の私よ。
 母よ!
 ありがとう。
 太陽暦ながら三月三日は、やっぱり心は稚く生き生きと往時のように高ぶります。



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