藤原智子監督 映画「ベアテの贈りもの」が4月30日(土曜日)から東京・神田神保町・岩波ホールで上映される。この贈りものは戦後、女性にとって最大のプレゼントであった。憲法14条(法の下の平等)と24条(家族生活における個人の尊厳、両性の平等)である(新憲法公布は昭和21年11月3日)。贈り主のベアテ・シロタ・ゴードンさんは当時、GHQで憲法草案を起草した25人のスタッフ中ただ一人の女性で22歳の若さであった。「日本の女性は親の決めた人と結婚させられたり、財産権がなかったり、ひどいと思っていました。だから,男女平等を憲法に書かねば、と必死でした」と振り返る(女性記者の記事に見る戦後50年より)。
ベアテさんの父は世界的ピアニスト、レオ・シロタさんである。難曲中の難曲といわれたストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」を初演したのも世界中で演奏したのもレオ・シロタであった。このレコードが岩手県筑波町にある野村胡堂・あらえびす館に残されてあるというのでベアテさんが筑波町に向うシーンからこの映画は始まる。レオさんは山田耕作の強い要請で来日、東京音楽学校の教授として第二次大戦後まで17年間滞在、数多くの日本人ピアニストを育てた。ウイーン生まれのベアテさんは5歳の時(1928年)両親と共に日本にくる。16歳の時両親とはなれてアメリカへ留学する。日本語は堪能である。男女平等の条項に対する日本側の抵抗が強かったが、日本通のベアテさんの心証がよく、彼女の草案だと聞いて日本側の態度が軟化し通過したといわれる。
映画は24条を贈られた日本女性の戦後の活躍を紹介する。戦前婦人解放運動に活躍した山川菊枝は新設された労働省の初代婦人少年局長になる(1947年)。婦人参政権の推進者で山川より三つ年下の市川房枝も参議院議員に当選、その生涯を女性の解放と地位向上のために尽す。ベアテさんは1952年訪米した市川房枝の通訳として市川と会いお互いに惹かれるものを感ずる。親交は晩年までつづく。この映画の製作委員会代表赤松良子さんも婦人少年局長として「男女雇用機会均等法」成立に苦労した一人である(1985年)。「小さく生んで、大きく育てよう」と反対する女性をなだめた。赤松さんは文部大臣までなっている。教育の機会均等、男女共学は意外と早くて、昭和20年12月4日「女子教育刷新要綱」が閣議了解されて実施に移された。一橋大学女子一期生の石原一子さんは卒業して高島屋に入社、営業を志望、がむしゃらに働く。同時入社の男子社員が次長になった際、担当重役に「何故私がダメなのか」と抗議する。理由は産休で6ヶ月休んでいるからだと説明を受ける。抗議した甲斐いあって6ヵ月後に次長に昇進。その後役員までなった。なお東大には昭和21年春21名の女子学生が入学している。
藤原監督は言う。「この映画はベアテさんが書いた男女平等の条文を起点にして、戦後日本の女性が今日までどのような地道な歩みと活発な運動を展開してきたかを検証する、いわば映像による戦後女性史の一つです」。日本はまだまだ男性社会である。現実の男女の壁は厚い。会社で採用する男女の数に差別があるし,月給にしてもそうである。現に大阪の会社で「ヤミ査定で女性を差別した」として係争中の事案がある。この映画を経営に携わる多くの男性に見せたい。 |