2005年(平成17年)4月1日号

No.283

銀座一丁目新聞

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安全地帯(105)

信濃 太郎

 暮らしの中の問題を考えよう

 哲学者福田定良さんの「堅気の哲学」(藍書房・2005年1月刊)を鷲田清一さん(大阪大学教授)が朝日新聞の書評欄(3月20日)で大きく取り上げた。これで少しはこの本が売れるであろうと友人の小さな出版社、藍書房のために喜んだ。この本は私には難しかった。それでも問題を考えに考え、自分の言葉で発言して処理すればよいことが理解できた。福田さんは「哲学は Philosophiaである。『知の愛』という意味だとされているが、この愛も根本的にはヒトを愛することではないかと思うようになった」といっているので、そう難しく考える必要はなさそうだ。
 鷲田さんの書評によれば「ひとびとが暮らしの中でつきあたっている問題から始める。概念を振りかざすのでなく、ともに言葉を探しながら、考えの道筋を見つけてゆく」とある。私の関心ある問題の一つはライブドアである。社長の堀江貴文さんは颯爽としばしばテレビに登場して買収劇を語る。一見新鮮そうに見えるが、「新聞とかテレビを我々が殺してゆく」の発言には、この人はマスメデアについて何にも知らないなあとつくづく思った。昭和28年テレビが出現した際、新聞の前途は危ないと危機感を感じた。いまだに新聞は健在である。部数は減少しているもののその存在感はまだ十分ある。確かにネット情報はこれからますます重宝され、力も加えるであろう。だが、ネットをふくめてマスメデアはそれぞれが持つ力を発揮、お互いに足りないところを補完しながら共存していくであろう。それがマスメデアの哲学である。ライブドアは会社の買収で大きくなり、儲けは金融サービスによるものである。堀江さんは単なる「乗っ取り屋」である。私の知る限り、「乗っ取り屋」の末路は哀れである。そうならなければ幸いである。新聞・放送には『高い志』が必要である。『放送は単なる金儲けの手段ではない。会社の時価総額だけが企業価値であるが如き理念のリーダーが放送企業を使配することは危険である』と遺伝学者の村上和雄さんが一文を産経新聞に寄せている(3月19日)。こう考えれば、ライブドア問題の道筋もみえてくる

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