2005年(平成17年)4月1日号

No.283

銀座一丁目新聞

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自省抄(25)

池上三重子

    2月24日(旧暦1月16日)木曜日 雨

 雨の音が小さくなっている、と思ったら何の何の、掃除機の音に邪魔されていたらしい。単調に聞こえるのは風がないせいであろうか。
 妙子先生からの電話伝言、来室は今月末か三月になるかも、但し体調を崩しているのではないからご心配なく、と。奈良のお嬢さんの帰郷? それとも末のえり子ちゃんの体調悪化? それとも何か……。
 幸福そのもののような先輩にも重い心の負をお抱えなのだ。辞儀固くて、と母は言った。本当に遠慮ぶかくて焦れったい程だが、近頃はずけずけと言う私に閉口されたらしく心配事までお話し下さる。
 ありがたい先輩よ。
 二従姉で元の同僚、というご縁がありがたい。血液型AB、ご姉妹みなABと。私もそうだから父系と想像する。母はA型。父方の血縁の先輩だからできる憶測である。
 先達ての佐藤祐子さんの手紙にAB型とあり私も喜んで同型と告げたのだが、日本人の四〇%がA型、三〇%がO型、ABは一〇%とか。ABにはややこしい何かがあるそうで、その特殊型ゆえ出産時が案じられたが、お子たち四人共に無事通過! よかった、よかった。「八人持って八言するなと昔から言われとる」という、母の問わず語りを思い出す。八言は放言を意味するらしい。安産だからと前回、前々回を例に油断するな、の戒めであろうか。

 昼食ご馳走!
 そう、今日は誕生会でした。
 ご飯、鰻の蒲焼、お清汁、ホーレン草お浸し、フルーツポンチ。その蒲焼が濃厚ではなくてあっさりと淡泊なのが嬉しかった。蒲焼とフルーツポンチで結構なおなか具合。おいしいのは幸せ。お汁は一啜り、お味はいつもに似ず塩辛かったが、他の利用者方にはご飯に副う一菜だからいいあんばいだったろうか。
 管理栄養士の平川さんに陰ながら感謝、調理士さんへも同様だ。
 今晩の夢は寝苦しい一夜を補うかのように、うれしい夢見であった。
 母が寝んでいる。蒲団も部屋のたたずまいも何もないごろ寝の様。その頭に頭をくっつけたがっている心地は、甘え充分の甘やかさが我ながら気後れするぐらい意識されている。 寝苦しさは入浴時の、摩擦具合のサービス過剰からくる全身のヒリつき。多分カサカサ乾燥のゆえに自然の体脂肪のにじんで来る間の生理的な(?)痛みであろう、辛かったなあ。左脚の痛みプラスだから、私の体躯ちゃん、可哀想の終夜となったのだ。
 骨の上の薄い皮膚を剥がれて白粉ふく様子が想像されて苦痛が相乗されたのだろうか、ワセリンか以前のようにオリーブ油塗りが処置法に浮かぶだけ。明日の入浴直後は乳液を試してみようか。
 静かな時が流れている。
 カーテンレールに吊る京土産の絹網球は、水色とピンク二色毬となってゆっくり廻っては戻りを繰り返し、それが部屋で唯一の動き。中に人形。
 生命あればこその私の一刻、と感ありだ。
 廊下辺りも静まりかえっているのは誕生会の後の疲れか。エレベーターで階下の会場へ、食事、帰室とそれなりの快い疲労は刺激。面会人やくもん学習、体操などの他、利用者方の目が生き生きと活力を覗かせる時は?
 しかし澱みと見る空気は見る目が澱みとするだけで、一人ひとりの利用者の思念はこころごころに活動しているのではなかろうか。
 殆ど一日中テレビから目を放さない人が風呂の行き帰りに目に付く。あの媼たちにも私に私の読み書きがあるように、それなりの張りがあるのでは? 無為とも静止とも見えても庭の欅や桜などの一木に、或は電線に憩う鵲の姿態に注目を楽しんでいる類もあろうか。 暖房の音のみよ。
 いや、今、俄に人々の声。おむつ交換? お八つのヤクルト配り?
 母よ!
 今、みかん半個、新人さんの介助で。病院に勤務していたと聞く人だが、その内においおい育ってもらいましょ、の観。言葉遣いは勤務初日に、ただちに変えてもらった。優しく適切な介護に習熟していって貰おう。
 短気も焦立ちも皮肉も毒舌も、どの介護者にも言ったり要求がましくするのは厳禁しているつもりだが、先日は介護士の一人にぴしゃりと言ってしまった。歳がいってるから同情気味な扱い(?)は増長を招くと判ったから。
 増長させるような賞め方をしたのかと自戒が自戒させられた。こちらが謙虚であればおのずと相手も、と決めるのは誤りらしい。ヘルパー経験もあるからだろうが自信過剰のうわさがある人で、信じられないことながら事実を認めざるを得なかった。
 私は人を信じてはがっかりする型。あくまでも自分の問題だ。東京から来た連中に騙されたりおだてられたり、苦い思いをしたのは四十年前、三重教とか寝て商いするとか毀誉褒貶さわがしかったらしい頃のこと。
 世間の裏表を知る人の目から見れば、本当に私は世間知らずのたわけ者であり幼稚であろう。四十年を経て透けて見える私の実像だが、今でも、鍛えられて熟年齢の域かと自問すれば、首を横にふるばかりよ。愛らし、いとおしの高年媼よ。
 生は面白い。
 興趣に富む人生よ。
 くたばれと謗られたり、生き仏とか如菩薩とか寝菩薩と呟かれたり言われたり、心ごころもご縁よ。悪縁も善き縁もあざなうように頂いて来た身―それが私? 嘘のような真実事実の人生よ。
 私は霊は信じない。あればいいなあと願うが信じるには至らない。
 呼べば夢路にあらわれ給う昨夜、今夜の母のように。それでいいのだ。嬉しいのだ。  母よ、足の処置も平田ナースに丁寧なお仕事。
 今日もこのように読み書き可能の賜りでした。
 夢見にお待ち申しますね!



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