あえて言うなら、中国は南京事件をでっち上げた。それに日本のマスコミが無批判に追従した。そのために昭和12年12月、日本軍が南京城を攻略したあと、日本軍による虐殺、暴行、強姦、略奪放火により20万から30万の虐殺が行われた話が定着した。日本の教科書にまでのる始末である。南京戦の正しい姿を再現した定本「南京戦史」「同資料集」「同資料集U」(何れも偕行社刊)が平成元年11月出版されたのにいまだ「南京大逆殺」がまことしやかに流布されているのは残念である。このようなばかげた事がまかり通っているところに中国が戦前戦後を通じて行った謀略宣伝の恐ろしさがある。
東中野修道亜細亜大学教授を中心とした南京事件研究会の小林進さん、同じく会員福永慎次郎さんによって「南京事件 『証拠写真』を検証する」(草思社)が2月8日、出版された。ここに日本人が目を覚まさなければいけない数々の事実が明らかにされている。1、南京大虐殺の証拠写真として使われた134枚は『証拠写真』として通用するものは一枚もなかった。2、今日流布する南京大虐殺の『証拠写真』は田伯烈編『外人目撃中の日軍暴行』と国民政府軍事委員会政治部編『日冠暴行実録』を源流とする。しかもこの二冊に宣伝本に少なからずでてくるのは自国民とアメリカを反日親中にむかわせる抗戦用写真として収集、盗作ないし撮影工作されたプロガンダ写真であった。3、この二冊の宣伝本をもとに中国共産党の新たな情報戦が970年代(昭和45年)からはじまったという。これに日本だけでなく世界中がだまされたのである。『証拠写真』には合成、演出、キャプションの書き換えなどが自在に行われている。たとえば、さきの二つの宣伝本や本多勝一著『中国の日本軍』にも掲載されている日本軍による斬首の写真は首を切る際、右足がまえに出ていなければならないが左足が前に出ている。これでは刀を振り下ろした時に自分の足をきってしまう。不自然である。又立っている人物の陰が別々である。これは合成と演出したものと判断される。また南京城外の池に浮かぶ中国兵の死体の写真についても写真に写っている死体は時期が冬というのに半そで姿であり、池の周りの草も枯れていない。南京攻略戦は12月である。夏の写真としか思えない。
本書に紹介している朝日新聞の例をあげる。昭和59年8月4日朝日新聞夕刊は『日記と写真もあった』南京大虐殺の横見出し、縦に『悲惨写した三枚』の見出しのもとに農家のアルバムの中にあったという三枚の白黒写真を掲載した。ところが八つの生首が写っている写真は南京とは別の場所「鉄嶺にて銃殺せる馬賊の首」であった。この写真が元日本兵が所有していたというそれだけの理由で「南京大虐殺の動かぬ事実を物語る歴史的証拠写真と書いている。今から20年も前の記事である。本書の指摘を受けて「検証報道」をしてみてはどうか。どうしてこのような誤報をしたのか検証する必要がある。
中国には「南京大虐殺記念館」がある。その入り口には「犠牲者三十万人」とある。謀略、宣伝の為でっち上げた南京事件と知りながら記念館を建てるのはどんな魂胆からか。真の日中友好はこの記念館を壊さない限り始まらないと思う。 |