1月14日(旧暦12月5日)金曜日 晴れ
兄よ! 自省抄で呼びかけた残像の名残か、夢にまざまざと帆前掛けを当てた兄が現れた。
蔵の中、兄は一人で茣蓙の一枚物と長いものを、さっさと捌きよく片寄せている。私がひょいと顔を出すと
「お前、そこに居ったとか」と破顔にこにこ優しい言葉をかけてくれた。
仕事中、笑顔を見せる兄ではなく、兄の笑顔は対お客か村の友人向けで、父同様であった。尤も父の最晩年は好々爺となって外出の用意姿を見ると、長火鉢を前に「何処さん行きょるかい」と気の毒なほどであった。
兄よ!
あなたは進学を諦めて父の仕事を継ぎ、田舎の、茣蓙の本場の茣蓙の卸問屋なるしかない商人になった。
神童と賞賛を浴び進学を勧める先生方の言に一顧も与えぬ父に支え、相談の上仕入れた茣蓙が予定通りいかねば兄に小言の父、でもあなたは父をたて通した。十六違う年齢の私の童心に父を非、あなたを是とする光景が浮かぶ。
特に消防団服の兄が、仲間とお花見に高畠公園に行こうとしていたときのことは鮮明だ。お弁当箱が板の間に包まれていたのに、父から文句がでた。あなたは黙々ながら団服を脱ぎ、仕事着にさっさと着替えて蔵に急いだ。仕事用のゴム草履の音が私の耳にいまだに灼きついている。
反抗の心情は真っ赤な顔の表情で読み取れた。父は仕事以外に視界はなかった。父を疎ましく思うこころは、こうした件でも養われていった。
満州行きは父からの解放だった。
小胆ものの父を持つ兄の不幸を、私は目の前に育った。兄は母一族の頭脳を受け継いだ。進学する級友は自分よりできないもの・・・・口惜しさが伝わってくる・・・・
しかし、言葉荒く対かうすがたは一度も見せない兄だった。親を選びえぬ若者の痛みを父は遂に知り得なかった。
すべては過ぎた。
暗いとおい過去となった。
父は老いてナムアミダブツを寝言に唱える篤信者となり、いかめしい父権も舅権も放棄。人の不行跡に目をつぶったのは母同様・・・兄哀れ。北ボルネオのサンダカンの浜で生きて還ったらの食談義に「菱と鰻の蒲焼」といったというのは戦友の富安一造氏の生還により知らされた。
戦争は兄をうばった。
実業人になった背広姿はこの目に見たことはない。昭和十五年から十九年三月の現地応召までの僅かな時間を、神は兄に心ゆかせたもうたか。
兄よ!
母の実家の頭脳をうけたあなたも、従兄の正人兄も共に戦死。あなたは太平洋戦で、正人兄は支那事変で。兄よ!あなたは遺児の姉弟を、正人兄は龍介を授かった。祝福したい、よかったよかったと。ツヤノ姉も三姉妹を授かった。これもよかったよ、よかったよ。私は零。私もよかったよかったよ、と。
えーい、ままよ。
憧憬三十代にふみ入ってすぐの死は、八十一になっても早急にはおとずれそうになければ、腹を括ってじたばたすることなく寿命に委ねるほかあるまい。
とはいうものの、死にたがりやの虫の勢いは悩みを与えつづけるというのか。
父よ
母よ
兄よ
姉よ
私だけをこの世に放っておくのですか。
仰臥三昧の全介護、ペンを何かのはずみで飛ばし、そこ私の脇に見えているのに手を伸ばし得ず、遂に人を招ぶーつくづく生はもう沢山、もう厭、なのに神よ、尚、生をいつまで賜うというのですか。
この世は楽しい。
そう確かに面白い。
ゴータマ・ブッダは苦とした人生、穢土としたこの世を、最後は楽しいとも浄土とも見なされた。私はゴータマ・ブッダに非ず。煩悩具足も並以上の犀の角、平家物語の知盛「見るものは見果てつ、いざ入水せん」にたぐえようか。
見たものは、ほんのちょっぴり。
知ったものも、ほんのちょっぴり。
見たものは発見。
知ったものも発見。
一つを見、一つを知れば未見未知なるものが無限無窮と教えて興をそそる。にもかかわらず死は、いわれもなく恋しい。憧れやまぬものとして五十年を経てきた。嘘のような夢のような半世紀よ。
有難うの裏側は屈辱感.これの解る誰があろうか。機械浴槽に身を横たえ目を閉じていようと、裸身に袖をとおされつつも切実な恥辱感。言葉にしないだけの有難う山積の裏のこころよ・・・・
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