1998年(平成10年)4月20日(旬刊)

No.37

銀座一丁目新聞

 

ホーム
茶説
映画紹介
個人美術館の旅
連載小説
ゴン太の日記帳
気軽に心理学
海上の森
告知板
バックナンバー

茶説

ウミは早く出すべきである

牧念人 悠々

 山一証券の「社内調査委員会」は4月16日簿外債務の実態など中心に、約4ヶ月間の調査結果を公表した。

 調査によれば、大蔵省の証券局長から「簿外で処理することを示唆された」とか「大蔵省の簿外債務の公表、山一の自主廃業発表は内閣の判断である」といった注目すべき事柄を出てくる。

 しかし、91年から97年まで経営陣が二千六百億円の簿外債務をつくり、それを管理続けてきたのは、厳然たる事実である。経営者の責任はまぬがれない。

 大蔵省の幹部がどのように助言し、示唆したとしても、それはあくまでも参考意見にすぎない。

 経営の難しさは規模の大小を問わない。困難に出会った時、経営陣の真価が問われる。

 バブルがはじけた際、その損失をどうするか、難問である。

 「世の動き、常に定かならず。好より悪の時節永きを知るべし。されば経営者の焦点、自ら定まる」(「船場往来」和田亮介著より)

 バブルに踊り、はしやぎ、“悪の時節の永き”を忘れた報いというほかない。山一に経営者がいなかったということであろう。

 バブルで出た莫大な損失を取引企業に転売したり、ペーパー会社や海外法人に移しかえたりした経理操作はあくまでも一時的な処理である。

 抜本的に考えた場合、早く表に出すべきであったであろう。改善計画をまとめるためのプロジェクトチームが発足したのが、97年8月では、あまりにもおそすぎた。

 「ウミは早く出すべきものである」これが今回の山一証券自主廃業の教訓であろう。

 また、社内調査委員会に加わった国広正弁護士は「山一の破たんの原因は、一部の人間が簿外債務をつくり管理し続け、それを社内で追及できなかったことにある。山一自身の責任は絶対に免れない」といっている(4月17日付「朝日新聞」より)。

 その会社に、数人の正義の士がおれば、会社は救われるというのも、山一が残したもう一つの教訓ともいえそうである。

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。
www@hb-arts.co.jp