2004年(平成16年)12月10日号

No.272

銀座一丁目新聞

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追悼録(187)

間断の音なき空に星花火   海童

  友人から毎日新聞の後輩、森英介君の著書「優日雅 夏目雅子ふたたび」(実業之日本社刊)がおくられてきた。俳句に精を出せと解釈した。森君は「俳句あるふあ」(2004年4月〜5月号)で「ドクヘン俳句」という題で私の俳句を取り上げてくれた。先輩思いでもある。その著書は27歳で亡くなった(昭和60年9月11日)夏目雅子を俳句を通してその魅力の再発見を試みたもので、知られざるエピソードも多く、面白く読んだ。彼女が自由律俳句の尾崎放哉(大生15年4月7日・死去・享年42歳)や種田山頭火(昭和15年4月11日・死去・享年59歳)に私淑したことを知って嬉しくなった。
 こんなよい月を一人で見て寝る(放哉)
 分け入つても分け入つても青い山(山頭火)
 私の好きな句である。
 二人とも荻原井泉水が主宰した「層雲」(明治42年創刊)の同人。山頭火が三歳年長であった。ともに酒に耽溺、漂白、孤独を愛した。満州育ちの私は尾崎放哉に親近感を持つ。放哉は一高、東大をでて保険会社の支配人とエリートコースを歩みながら酒に溺れて満州・奉天にまで活路を求めている。小倉に勤務したことから山頭火は身近な存在になった。書斎には山頭火の「雪ふる一人一人行く」の句に雪の中を歩む托鉢の僧を描いた水墨画がある。34歳の時「層雲」に寄せた一文に「苦痛は抱きしめて初めて融けるものである」とある。なるほどと思う。苦痛が融けて名句に変じた。筆者は苦痛を忘れるために仕事に没頭した。外に発散したので句も蒸発した。
辞世の句
 放哉  春の山のうしろから煙が出だした

 山頭火 もりもりもりあがる雲へ歩む

 海童  間断の音なき空に星花火(死の40日前の作品)

(柳 路夫)

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