2004年(平成16年)11月10日号

No.269

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花ある風景(183)

並木 徹

古九谷展を見る

 「古九谷」―その謎に迫る―展を東京・丸の内・出光美術館で見る機会に恵まれた(10月29日・11月14日まで開催)。古九谷といえば大皿が特色である。「色絵菊文大皿」は口経47cmもある。江戸時代前期の作品(1603年、家康江戸幕府を開く)。色の基調は青と黄色。全体を色で包み込んでいる。菊の花を紫で染め、背景を濃い黄色と青の二色で塗りこめる。この躍動する絵模様を青手(あおで)という。説明によれば、桃山時代の織部焼から続く傾(かぶ)きの意匠の伝統が流れ込み、さらにデザインに豪快さと明快さが加えられたとある。その雄勁さに圧倒される。色絵磁器は1640年後半肥前・有田窯、1650年代には加賀の九谷窯、備後の姫谷窯でそれぞれ開発された。
 学芸員の話す歴史が興味深かった。戦国時代から江戸時代初期にかけて一時期、日本は世界の三分の一の銀を産出しており、この銀を求めて世界各地から商品が殺到した。色絵磁器もそのひとつであった。古九谷が誕生した17世紀中期を見ると京都の二条城(1602年)、西本願寺(1636年)、日光東照宮(1617年)が創建された時代であった。この壮大な建造物の雄大さや内部装飾の豪奢さは古九谷の造形性と相通ずるものがある。陶芸はその時代を明らかに反映している。
 「色絵独釣文八角皿」。口経34.8cm。緑、黄、青、紫、赤の五彩の上絵具でかざられた、五彩手の大皿である。初唐の詩人廬昭鄰の詩を絵画化したもの。中央に舟で釣をする人物を配し右側に岩から突きでる松、左に数羽の飛鳥をそえる。一幅の絵である。ふと、最近見た伝説の天才画家、張承業を描いた映画「酔画仙」を思い出した。張は山奥の陶芸工房で壺に絵を描かせてもらう。陶工はいう「先生のような画家は鉄砂が溶けずに絵がきちんと浮き出ることを期待するのでしょうが、陶工の思い通りにはいきません。火が壺を 作るのです」この絵もまた『火』が作ったのであろうか。古九谷も文様意匠は専門の絵師によるもので、文献には狩野派の久隅守景の名がある。
 学芸員はしきりと、産地を口にした。九谷とは石川県江沼郡山中町の地名である。江戸初期の作品を古九谷という。発掘調査では加賀の九谷窯跡から明暦2年(1656年)の染付片がでている。一方、肥前・有田楠木谷窯跡から承応2年(1653年)の破片が出土している。加賀前田藩邸跡からは質の高い古九谷の製品が沢山出ている。江戸時代前期の大名たちが文化藝術に惜しみなく投資したのに驚く。いまでいう企業の社会的貢献である。大名には傾く精神の持ち主が多かったのであろうか。

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