2004年(平成16年)9月20日号

No.264

銀座一丁目新聞

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茶説

国語は知的活動の基本である

牧念人 悠々

 島崎藤村の詩 「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ 緑なすはこべは萌えず 若草はしくによしなし 白銀の衾の岡辺 日にとけて淡雪流る」暗記している人も多いであろう。芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」を知らない人はあるまい。万葉集に柿本人麻呂の一首がある。「淡海の海夕浪千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ」(巻三・二六六)杜甫に「春望」がある。「国破れて山河あり 城春にして草木深し 時に感じては花にも涙を濺ぎ 別れを恨んでは鳥にも心を驚かす 烽火三月に連なり 家書万金に抵る 白頭掻けば更に短く 渾て簪に勝えざらんと欲す」いずれも名詩、名句である。暗誦すれば心に響く。暉峻康隆さんは芭蕉の句と杜甫の「春望」と人麻呂の歌を東洋における三大懐古の詩であるといっている。かって日本人は濃淡の差はあるが、若いうちに文学に親しみ、国語や漢文を勉強して頑張ってきた。
 数学者でお茶の水女子大の教授である藤原正彦さんは「初等教育における国語こそ国家の浮沈がかかっている」と断言して憚らない。敗戦後、国語教育を軽視し漢文の時間を少なくした事が現在のいじめ、学校崩壊、暴力沙汰、学力低下など諸諸の悪い現象が起きたと指摘する。聞くべき貴重な意見である。国語は知的活動の基本である。論理的思考を、情緒を養うという。江戸時代は「読み書きそろばん」といって四書五経の素読とソロバンを習うことを勧めた。語彙が豊かであるのは思考が深く、ひろくなる。創造性も養われるし美的感受生も強くなると説く。
 最近の子供は虹や夕焼けを見てもその美しさに感動しない。国語の軽視がその一因である。やがて「夕焼けや廻れば広き法隆寺」(加藤真暉子)や「通学の黒服黒傘今朝の虹」(井上美子)の俳句のよさがわからなくなるであろう。数学者、岡潔さんは芭蕉の「奥の細道」を実際に歩き、その俳句を研究して数学にますます磨きをかけた。藤原さんが言うように「いま日本国民はひたすら亡国の道を転げ落ちている」のだろうか。ネット上に開設した「銀座俳句道場」を通じて知った小学生から高校生が作る俳句の感性のみずみずしさからは否定的な感じを持つ。後 に続く者を私は信じたい。

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