2004年(平成16年)8月10日号

No.260

銀座一丁目新聞

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自省抄(2)

「教師冥利・・・人間冥利・・・」

池上三重子

 7月9日(旧暦5月22日)金曜日 曇り


今昼ひとときワイワイガヤガヤと賑やかな恵与となった。賑やかなのは良い。楽しい。嬉しい。
ヴェサーリーは楽しい
好きだ。
人間のいのちは甘美なものだ。
とおっしゃったと阿含経の伝えるという釈迦の言葉が心の何処かで明滅する。
平川洋子、坂西洋子、倉本照子、高口和代、高口悦子のみなさん一行七名が、ひょっこり現れたのだ。前ぶれなしよしなくてよし!齢八十媼となった年の功!?性急人と母に言われたせっかちにんげんも寛恕の緒につきつつあるというのか。
一言をもって終身体しておくべきことは、と問う弟子に孔子は答えられた。
『それ恕か・・・』
 いい言葉よ。
 心にしみるいい言葉よ。
 読みかじりの二千五百年むかしの聖賢の言がすんなり肯定出きるのも、五十年の病床六尺の賜物であろう・・・。
 このお子たちはわたしの健康な時代最後の受け持ち学級、しかも五年生六年生と持ちあがり。昭和三十年卒業。一応のお別れ。それは通過儀礼。じっさいはこうして集まって或は一人二人とと、ぷつんと切れない絆のいた頂き!?どうして教師冥利・・・・人間冥利・・・と感謝せずにいられようか。
 担任二年間はほとんど楽しかった。
 もっとも一年目はこごと幸兵衛、もんく紋次郎、注文の多い料理店の流儀。が、二年目となれば教師とお子の間もお子たちお互いの上にも、編成替えのとまどいや警戒心、さぐりごころも霧消,四海波しずかな理解と協力、また私たちの組、僕の組の意識も生じ寛恕といいたい級風が芽がでて花が咲き実るという落着を迎える。
 私は今年こそ泣くまい。決して涙をみせまいと心して卒業式に望む。やっぱり愛別離苦の涙がとどまらない・・・女の子もそう・・・。
 平洋ちゃんは今回も両手に風呂敷包。見るからに重そう。大磐振る舞いの品類もいろいろは見事!立派!味付けも盛り付けも難の付けようがない。
 絶句!?感激屋の私の心象は絶句!!
 旧軍人の夫の理解も充分にあってこそのごちそうは毎回のことながら、私の感動は回ごとに深みを増して来ている。
 測定できるものならなあ・・・・
 むつごろうは初もの.有明海特産の魚もどき。

池上三重子さんの略歴

1924年福岡県三潴郡大莞村(おおいむら・現大木町)に生まれる。福岡女子師範(現福岡教育大)卒業後、小学校教諭を務め、50年(昭和25年)に結婚、54年〈同29年)30歳の秋に発病、多発性リューマチ様関節炎と診断される。やがて不治の宣告を受け63年〈同38年)に.夫の愛ゆえに妻の座を返上.病床に金縛り同然の身を母キクさんに支えられながら療養生活を続ける.88年〈同63年)たくまざるユーモア精神で終生、池上さんを励ましつづけた母上を105歳で見送る。
著書に.歌集「亜麻色の髪」、「妻の日の愛のかたみに」「わが母の命のかたみ」。夫への清冽な愛を短歌とともに綴った「妻の日の愛のかたみに」は感動を呼んでベストセラーになり、乙羽信子主演でテレビドラマに、若尾文子主演で映画になる。
現在、福岡県大川市の永寿園で療養中。
「書くことは生きること、心の平穏を得ること」と「自省抄」と名付けた日録を綴っている。



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