花ある風景(174)
並木 徹
「父と暮らせば」をみる
作・井上ひさし、演出・鵜山仁のこまつ座公演「父と暮らせば」をみる(7月27日・紀伊国屋サザンシアター)。
時・昭和23年7月。
場所・広島市、比治山の東側、福吉美津江の家。
登場人物・福吉竹造(辻萬長)、福吉美津江(西尾まり)。
「父と暮らせば」をみるのは三回目である。役者がそれぞれ違うが、そのつどあらたな感慨を覚えるる。三回ともお芝居に十分堪能、原爆忘れまじの思いを強くした。
いつ聞いても美津江さんの言葉に泣かされる。「うちよりもっとしあわせになってええ人たちがぎょうさんおってでした。そいじゃけえ、その人たちを押しのけて、うちがしあわせになるいうわけには行かんのです。うちがしあわせになっては、そがな人たちに申し訳が立たんのですけえ」また「うち、生きとるんが申しわけのうてならん」ともいう。美津江には原爆投下された日、火の周りに襲われて父親の竹造を見捨てて逃げたという後ろめたい気持ちも残っている。
原爆の威力について竹造の言葉。「爆発から一秒あとの火の玉の温度は摂氏1万2000度じゃ。あの太陽の中心温度が6000度じゃけえ、あのとき、ヒロシマの上空580メートルのところに太陽がペカーッ、ペカーッ二つ浮いとったわけじゃ。地面の上のものは人間も鳥も虫も魚も建物も石灯籠も一瞬のうちに溶けてしまうた・・・・」
今回のパンフレットの前口上で井上ひさしさんは「アメリカの軍上層部は長崎に捕虜収容所があるのを知りながら原爆を落とした。300人の収容者のうち180人が命を落とした。戦争指導層は敵も味方も平気で国際法を無視する。これが近代戦争の正体です」と綴る。原爆の悲劇は語り継いでゆかねばならないと思う。非核時代実現のために、広島市長は「記憶と行動」を、長崎市長はアメリカ国民に「連帯」をそれぞれ訴えた。 |