2004年(平成16年)8月1日号

No.259

銀座一丁目新聞

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茶説

夏草や嗚呼原爆忘れまじ


牧念人 悠々

 59回目の原爆忌を迎える。6日広島、9日長崎にそれぞれ原爆が投下されて幾十万の死傷者を出した。

  夏草や嗚呼原爆忘れまじ  悠々

 昭和20年8月6日筆者は陸士59期生の歩兵科の士官候補生として同期生と共に西富士の演習場でや野営演習中であった。廠舎の屋根は偽装されていた。西富士上空は南から富士山を目指して飛んでくる敵機が90度向きを変えて東京を目指すその地点にあたっていたからである。小隊教練には数十名の召集された兵隊さんが参加していたがいずれも30を超えた年配者ばかりであった。空砲も実弾も撃った事がなかった。それだけ日本は兵器が不足、敗戦の色が濃厚であった。7日夜、広島に原爆が落ちたのを知った。大本営発表(7日午後3時30分)によれば1、昨8月6日、広島市は敵B29少数機により相当の被害を蒙った。2、敵は右攻撃に、新型爆弾を使用せるものの如き、詳細は目下調査中。

  新型爆弾ソ連宣戦天の川     徳川夢声
  原子爆弾南瓜も蟻も焼くるなり   同

 「夢声戦争日記」によれば「2里も離れていて、ピカリと光ったのを見た時は全身が焼けどしていたという。裸体で体操をしていた国民学校の生徒達は茹でたる馬鈴薯のごとく、熱と爆風とでたちまち赤むけになったと言う」とある。
 私たちの野営演習は続く。8、9、10日も小隊訓練である。10日夜は挺進切り込みの徹夜訓練。富士山麓に広がる樹海の中での夜間演習である。11日の午前4時状況終りであった。ここで初めて筆者は訓練中に指揮刀の刀身を紛失したのに気がついた。武士の魂をなくすとは・・・歯軋りしたがどうにもならない。疲れ果てた同期生たちが一緒になって探してくれたが見つからなかった。この事件をいまなお覚えている同期生が居る。
 長崎の原爆投下は11日になって知った。「ボイス・オブ・アメリカ」の放送をひそかに聞いた同期生の話では投下された新型爆弾は原子爆弾ということであった。西部軍(福岡市)の発表(9日午後2時15分)によると1、9日午前11時ごろ敵大型機2機は長崎市に侵入、新型爆弾らしきものを投下せり。2、詳細は調査中なるも被害は比較的軽少なる見込みなりという。
被爆の詩人、福田須磨子さんは歌う「・・・うめきつづける人達の放つ異臭/水・・・・水・・・・、とうごめく姿は/あやしくゆれるローソクの光に/生きながらの地獄絵」

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