泉鏡花原作・斉藤雅文、山本健翔台本・山本健翔演出・演劇集団「円」の「鏡花万華鏡・風流線」を見る(7月16日・紀伊国屋ホール)。事前に主役の巨山五太夫を演ずる橋爪功が意欲的に稽古に励んでいると聞いた。泉鏡花の小説は極端である。奇想天外であり、現世と異界が交流する。
第一幕。後に共に世間を捨て悪鬼になって暴れるお竜(朴路美)と村岡不二太(本多新也)が出てくる。村岡は華厳の滝に投身自殺を遂げた藤村操がモデルである。藤村が死んだのは明治36年5月22日。有名な「巖頭の感」を残す。「万有の真相は唯一言にして尽す。曰く『不可解』・・・」華厳の滝は自殺の名所となり、7名の若者が藤村の後を追った。五景で村岡の親友、鉄道技師の水上規矩夫(木下浩之)がいう「哲学に殉ずるという遺書は、断じて信じなかった。世を欺き、虚名を売ると思った。お前とお竜さんのことを、その秘密を知っていたからな・・・」鏡花は「かなわぬ恋ゆえの偽装自殺」と見たのである。
橋爪の役柄はお助小屋を建て窮民の面倒を見る活如来である。熱演である。橋爪は舞台が似合う。力松(広田行生)はその本質を突く。「俺は慈善だなんだ言う奴はってはどうも信用できねえ。施し施しもいい加減にしやがれいってんだ。あれは、お前、人を乞食扱いにするんだ。憐れむんじゃねェ。軽蔑するんだ」
「綾の鼓」を打つ音が聞こえる。世阿弥の「恋重荷」である。菊守の老人が女御を思慕してなぶられ重荷を担わされて死に亡霊となって女御を恨む。水上は言う「白痴のように鳴らぬ鼓を打って打って、老人はついに池の水に溺れて死んだ・・・私も同じだ!欺かれたのだ、綾の鼓に・・・!」
妻 の美樹子が人別控えを持ち出したこともいまなお水上を忘れかねていることも巨山は知っている。「人を欺くということは、愉快なものだ。人を欺き、世間を欺き、天を欺く。・・・面白いではないか。真のことは、誰も知らない.あほばかりだ.・・・お前も、私の喜びを共に味わってくれたのだ」
北陸線の工事について「水上はお前のためだけに山を穿ち、谷を埋め、あまたの工夫の屍の上に鉄路をお前の元へ進めておる」と口走る。水上が率い、土地の人々が恐怖する「風流組」は巨山の偽善をかぎつけてその慈善事業をことあるごとに妨害する。近代化の象徴である鉄道の二本の線路は正邪愛憎、現世異界入り乱れてあざなえる縄のように時には女の涙が流れ、ある時には男達の血浴びて金沢を目指す。
紅蓮の炎に落ちる巨山にお竜がいうセリフがいい。「でもね、巨山さん、善と悪はなくても美しいものと醜いものってのは、あるんだ。私は、醜いものは、嫌いなのさ」泉鏡花が描きかったのは美しいお竜であったのだと思う。鏡花が国民新聞にこの原作を連載したのが明治36年10月から約一年間で、ことしで100年である。名作の命は長い。泉鏡花は昭和14年9月7日死去。享年62歳であった。
(柳 路夫) |