2004年(平成16年)7月20日号

No.258

銀座一丁目新聞

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花ある風景(172)

並木 徹

 

    万緑や敵に恕の人蒋総統  紫微

 陸士59期生の首都圏懇親会(7月9日・アルカデア市ヶ谷)で顔を会わせた荒木盛雄君から「台湾吟行記」をいただいた。俳句仲間と3泊4日(6月11日から14日まで)で、台湾の観光をし、台湾俳句協会の会員と合同句会も開くという優雅な旅であった。
筆者は2歳から5歳まで台北に住んだことがある。父が大阪の8連隊から台北の歩兵連隊に転属になったからである。官舎の庭のバナナの木の下ですぐ上の兄と一緒に写っている写真がある。訪れたいと思っているが未だにその機会に恵まれない。同期生の中にも台湾の中学の出身者は20人を超える。
紫微の俳号を持つ荒木君の句はなかなか達者である。

  汗も無く瞬きも無し衛士立てり

 台北にある忠烈祠には辛亥革命、抗日戦争、中共との闘いで戦死した33万の霊が祀ってある。衛兵の交代が一時間ごとに行われる。本殿の前では2人の衛兵が向かい合ってお互いの銃剣を投げ合うという。「建物の緑と朱色に背景の緑が、晴れ上がった空に映えて美しかった」と荒木君は記す。

  跳び立たん蛙千古の硯石

 世界四大美術館のひとつ国立故宮博物館を見物する。70万点を収蔵し常時2万点を展示しているが4月から大改修中で三分の一しか展示されていないという。硯石については「硯は清康煕帝の松花意志梅花図硯、乾隆帝の松花石荷塘鳴図硯などがあり、後者には蓋に蛙が彫られていた」とある。

  敵国に恕の総統や雲の峰

 中正記念堂を訪ねる。1980年蒋介石没後に立てられ、塔の高さは70メートル、階段は享年にちなんで89段ある。蒋総統は日本が敗戦の際、ラジオを通じて「暴に報いるに徳を以ってす」と演説し、中国国民に日本人に対する寛容を訴えたのは余にも有名な話である。彼はキリスト教徒であった。この演説の中で「汝己の如く人を愛せよ」といい、また「われわれは日本軍閥を敵とするが、日本人民を決して敵として認めない」ともいっている。満州事変から数えれば14年間、中国国民は日本軍と日本人に痛めつけられたであろう。だが、日本軍、日本人への被害は最小限に食い止められた。荒木君は「雲の峰」を感慨無量で眺めたに違いない。
 蒋総統は大正年間に日本の士官学校に留学している。大正13年6月、孫文が開校した黄埔軍官学校の校長に就任。その校舎の間取りは神奈川県の座間にあった陸軍士官学校の兵舎と全く同じであったと此処を視察した同期生の野地二見君がいっていた。
 荒木紫微は最後に「初めての海外吟行つゆさなか」で締めくくる。 

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