2004年(平成16年)7月1日号

No.256

銀座一丁目新聞

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追悼録(171)

高岡節子さんの7回忌法要
 

  知人の高岡節子さんの七回忌の法要に出かけた(6月19日・杉並・等正寺)。平成10年6月になくなってから早くも6年立つ。彼女の名を高からしめたのは、日本郵船の客船「クリスタル・ハーモニー」にその書が飾られてからである。海にちなむ万葉の七首が読まれている。私の好きな「近江の海に/夕波千鳥汝が鳴けば/心もしぬに/いにしへ思ほゆ」(柿本人麻呂)歌もある。号は雨星という。ご主人は「人形町今半」の経営者高岡陞(のぼる)さんである。
 お寺の女住職さんの講話がなぜかみにしみた。自己中心では不幸になります。他人のことを思いやってください。人は他人に生かされているのです。感謝しなくてはいけません・・・あたりまえのことを書き物を見な がらしゃべっているのだが、ぐさりとくる。新聞記者はとかく自己中心主義で、自分のことしか考ず、仕事に猛進する。周りのことを気にしていては仕事に負けてしまう。日常の動作でも万事そうである。もう少し他人様のことを考えようという気になった。お清め会場のホテル・センチュリハイアットに行くバスには、乗車の際は最後にのり、下車のさいも最後に降りた。こんなことをしたのは始めてである。「他人に生かされている」というのは昨今痛感する。銀座の事務所に飾ってある「海鳴」の高岡さんの書はいつも私を励ましてくれている。「銀座一丁目新聞」の題字は平成9年4月ホームページを始める際に書いていただいた。この時、縦書きと横書きを4、5枚書いていただいたものから選んだ。雨星としてすでに名を成している人が忙しい最中、嫌な顔一つせずしてくれた。今になってそう思う。当時は感謝の念が足りなかった。
 会場で高岡さんがなくなってから一週間後に生まれた次男哲郎さんの長男、海士(かいじ)君に会う。高岡さんが「海のように大きく。広く深い志」を期待して命名した。今は6歳に成長してプールに1時間もいても平気であるという水好きの子供だそうである。
 観世秀夫さんの舞、友人のビオラ演奏などが法要に花を添えた。同じテーブルには昭和32年東大を卒業して、有楽町の今半を会合の場所としている「朱交会」のメンバーと一緒であった。彼らはすでに3回も高岡さん追悼文集を出したという。「我等のマドンナの花の命は短くて」と嘆くのであった。思い出話は尽きなかった。

(柳 路夫)

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