2004年(平成16年)7月1日号

No.256

銀座一丁目新聞

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花ある風景(170)

並木 徹

「語りたき人遠くなり鳳仙花」  静子

 和才静子さんから妻に送られてきた句集「鳳仙花」をみる。妻とは山仲間であり、同じ府中に住んでいるので行き来もしており、数少ない友達の一人である。人柄をそのまま表して素直な句が多い。好感が持てる。私の心に響いた句を取り上げる。

 高々と熊手さし上げ帰り来し

 酉の市から息子さんが買ってきたのであろうか、「高々と」の中にほほえましい家庭の温かを感じる。熊手は大きいほど縁起がよいといわれるがこの家族にとっては大小は問題ではないであろう。

 ほつほつと草萌えそめし枯野かな

 「ほつほつ」がいい。枯野に春近しの感じを見事に表現している。あとに出てくる句にも「くるくると散りくる花に手をのべし」とあるように擬態語の使い方が上手い。風景を一瞬のうちに捉える才能に恵まれているのであろう。

 雲海の向かふの嶺は上州と
 山宿の小さき窓の夏の月
 どこからもアルプス見ゆる花の山

 山好きの和才さんに山の句が少なくない。昭和40年代だと思うが、夏に妻はよく和才さんと3000b級の山を登山した。あるとき、私が「明日登山に行く」というと「何処へ」と聞く妻に「高尾山だ」と答えた。今でも覚えている。「高尾山なんか山ではない」とせせら笑われてしまった。その私にも「雲海の果つるところ芙蓉峰」の句がある。

 語りたき人遠くなり鳳仙花

 句集の名はこの句からとっている。平成7年の作とあるので、ご主人の7回忌をむかえての作品であろう。一見すると、亡き人が遠くへいってしまって嘆いていようであるが、深層心理は何故早くこの世 を去ったのか惜しんでいる句に思える。素晴らしい夫を雨風にすぐ折れる典雅な鳳仙花に例え、偲んでいる。鳳仙花は彼女自身でもある。

 鰯雲流るる果ては浄土かな

 「浄土かな」と悟るような年ではない。「夏の寺なんじゃもんじゃの花白し」や「へっぴり腰可笑しくもある滝見かな」と旅に出て、句帖を開いて生きる喜びを歌った方 がよい。また「抱へし大根ドサと土間に置き」「大根葉キュッキュッと塩揉み浅漬けに」と生活感溢れる句をものにしたら寿命がさらに伸びる。

 しなやかに小鷺歩む秋の川
 
 小鷺に孫娘を思い浮かべたのであろうか。見ないうちにいつのまにか大きくなってしまう。句集の表紙の絵は孫娘、翔さんのヴェネツィアの風景である。秋の川がヴェネツィアの運河に通づるのだから俳句にはこんこんと尽きない味わいがある。

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