映画「戦争の霧」−マクナマラ元米国防長官の告白−を見て何故か、日露戦争・日本海海戦の名将、秋山真之海軍中将(海兵17期)の「天剣漫録」を思い出した。マクナマラの体験から生まれた11の教訓と秋山中将の「良将になるための心得」30か条とは異質なものである。日米の「切れ者」が考え出したそれぞれの教訓は興味があると思った。
秋山は明治19年(1886年)海兵に入学。成績は53人中14番であった。最上級生のときは1番となり、首席で卒業した。明治30年6月アメリカに留学するが、その成果が作戦を考えるための図上演習の導入であり、米西戦争でのサンチャゴ湾口閉塞作戦を模範として、実施された日露戦争の際の旅順港閉塞作戦であった。彼は母思いであった。母から贈られた紙雛を内ポケットにしまいこんでいった。海兵に入ったときからで、もちろんアメリカにも持っていった。15歳まで母と一緒に寝ていたという。髪雛は彼の守り神であったといえよう。名将にふさわしいエピソードである。
秋山真之の「心得」を抜書きする。
1、細心焦慮は計画の要能にして、虚心平気は実施の原力なり
2、敗けぬ気と油断せざる心ある人は無識なりとも用兵家たるを得
3、手は上手なりとも、力足らぬときは敗る。戦術巧妙なりとも、兵力少なけれ ば勝つ能はず
4、ネルソンは戦術よりも愛国心に富みたるを知るべし
5、人生の万事、虚々実々、臨機応変たるを要す。虚実応変に適当して、始めてそ の事成る
6、敗くるも目的を達することあり。勝つも目的を達せざることあり。真正の勝 利は目的の達不達に存す
7、治に居て乱を忘るべからず。天下将に乱れんとすと覚悟せよ
8、世界の地図を眺めて日本の小なるを知れ(島田謹二著「アメリカにおける秋山真之」下より)。
秋山真之中将は大正7年2月、53歳でこの世を去った。墓地は青山にある。
(柳 路夫) |