花ある風景(167)
並木 徹
俳句はすべてによし
毎日新聞社会部時代の友人、竹内善昭君から句集(平成15年冬、平成16年新年、春)が贈られてきた。俳句を始めてから間もないが、もともと文才があるから年毎に上手くなる。その熱心さには感心する。心に感じた句を抜き出してみる。
やぶ山の朝のもてなし雪化粧
一幅の絵である。さらりと句が口を通して出てくるのは非凡である。「もてなし」の表現がいい。
妻臥してただおろおろと年暮るる
日頃すべてを妻任せにして置くとこのようになる。少しは家事の手伝いをすべきであろう。反面どっぷり妻によりすがっている亭主の姿も浮かぶ。おろおろしているのが嬉しいのかもしれない。妻は時々仮病を使って寝込むといいかもしれない。
牛啼きて利根の川べり春めけり
春をいち早く感じるのは風、光、雨などが一般的であろう。作者は「牛の声」である。まことに新鮮である。いい句である。
梅老いて幹金色に苔むしぬ
観察眼がよい。人間も老いても心も顔も輝く、しっかりした人物になりたいものである。そんな願望が感じられる。
花万朶軍歌の日々よみがえり
櫻といえば、「万朶の桜か・・・」の軍歌を思い出すのは戦中派である。「万朶の桜か襟の色/花は吉野に嵐吹く/大和男子と生まれなば/散兵線の花と散れ」軍歌「歩兵の歌」の一番である。今でも十番まで歌える。夕方の軍歌演習、演習帰りによくこの歌を歌わせられたと作者は言うであろう。あれから60年近くたっている。つい最近、陸軍予科士官学校があった朝霞に遊びに行った。昔の面影はなかった。「新緑や軍歌の日々よみがり」。
咲くもよし散るもよしとて花見酒
枯淡の心境が良く出ている。「花に嵐のたとえもあるぞ/さよならだけが人生だ」と歌った人もいる。筆者は今しばらく「弾けてもはじけてもシャボン玉を追う」少年でありたい。 |