2004年(平成16年)4月1日号

No.247

銀座一丁目新聞

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茶説

裁判所対文春の戦い


牧念人 悠々

  出版禁止の仮処分を受けた「週刊文春」問題はちょっと見逃せない。その内容は田中真紀子元外相の長女の私生活に関するものであった。この記事を読んだ私は余りの他愛なさに驚いた。記事にするのもどうかとも思った。一方、この程度の私生活を暴露されたからといって訴訟するのもいかがなものかという気持ちにもなった。だが、そういう単純のものではないようだ。
 有名人やその家族の結婚、離婚、シングルマザーなどしょっちゅう週刊誌の話題となっている。「長女は純然たる私人」と裁判所はいうが、有名な元外相の娘であり、父は国会議員である。さらに田中角栄の孫娘である。純然たる私人とはいえない。野次馬の好奇心の対象にはなる。こんな見方もある。「子供の結婚に対する態度は、家族観や性格わかるという意味で政治家を全人格的に判断する有権者にとっては重要な情報ともいえる」(「AERA」3月29日号)離婚に対してどのような態度をとるのかも判断の材料になろう。とすれば「報道価値はプライバシー保護より落ちる」とは必ずしもいえない。
恐らく私が編集長であれば、この記事を没にしたであろう。新聞の社説も「今回の記事は公益性に富むとはいい難い」とする(3月21日毎日新聞)。庶民はゴシップから、井戸端会議から人のよしあしを選ぶ術に長けている。この視点から見れば、公益性がないと一概には言えない。その判断を読者に任せればよい。その意味では差し止めという判断は間違っている。もっとも大事な点は表現の自由とプライバシーの保護と比べたら表現の自由が優先されねばならい。表現の自由は民主主義の基本である。ブライバシー保護に重きをおかれると、「国民の知る権利」が損なわれる恐れがある。もちろん無制限に表現の自由を主張するつもりはない。その制限は厳格であるべきだと考える。米国のホームズ連邦最高裁判事の言う「現実・かつ明白の危険〕の存在の考え方を忠実に守るべきである。「公共の福祉」という制限は余りにもあいまいすぎる。いま司法はメデイアへ厳しい姿勢を示している。その中で起きた差し止め命令である。勇み足ではなく確信的決定である。その流を深く愁う。
 東京高裁の「差し止め取り消し」の決定(3月31日)は当然である。

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