NHK衛星第2の小津安二郎監督の映画「東京物語」をみる(12月12日)。昭和28年、松竹大船の作品である。小津監督生誕100年(明治33年12月12日)没後40年(昭和38年12月12日死去、60歳)というので小津映画がもてはやされている。
平山周吉(笠智衆)妻とみ(東山千栄子)夫妻には子供が多いのに驚く。長男幸一(山村總)長女志げ(杉村春子)、戦死した次男昌二、その未亡人典子(原節子)三男敬三(大阪志郎)次女京子(香川京子)で、子供は5人である。当時としては当たり前なのかもしれない。私の場合兄弟は7人。しかも男ばかりである。老夫婦は小学校の先生の京子と尾道に住んでいる。周吉は市の教育課長をしていたというから地方公務員である。
ある日東京に住む子供達のところに出かける。20数年ぶりの上京というが子供達は一応歓迎はするもののそれぞれ忙しくてありがた迷惑である。町医者の幸一も美容院を開いている志げも構っておられない。生活がある。二人で相談して熱海まで両親を送り出す。観光バスに乗せて東京見物をさせ親身になって世話を焼いてくれたのは血のつながらない未亡人の典子であった。とみはむかしとかわらない典子の心遣いに感謝する。周吉は昔の老友達、服部修(十朱久夫)沼田三平(東野英治郎)と酔いつぶれるほど飲み、警官に案内されて志げの家にたどり着く始末である。周吉のやるせない気持ちが良く出ている。
子供は親が思うほど尽くしてくれない。そうしてくれるだろうと思うのは親の欲である。とみが急死死したあとの志げの会話を見ても、いいたい事を言ってさっさと帰える。それでいて形見が欲しいとねだる。自分勝手なのである。家族との交流を通じて身の丈の老夫婦の幸せをしみじみと演出したと思う。
私には二人の子供がおり、サラリーマンの長男にはふたりの孫が、長女にはひとりの孫がそれぞれいる。茅ヶ崎と千葉に住んでいる。現在、平山夫妻よりも年を取ったが、子供に老後の世話を見てもらうという気持ちはサラサラない。
夫婦の生き方も自由にして独立独歩。お互いに老後を楽しむ事にしている。人生にはそれぞれの老後があってよい。それにしても「東京物語」にでてくる人達が良く挨拶を交わしているには感心させられた。
(柳 路夫) |