50歳の若さで無念な死を迎えた、生前とても美しかったその人の通夜のことを5年も経った今も忘れることが出来ない。
「お別れをしてあげてください」と促がされて、お棺に近づいて息をのんだ。端正だった面影はすでに無く、されこうべそのものがそこにあった。こんなにも頑張ったのです、と近親者は伝えたかったのかも知れない。
その人が癌を宣告されてホスピス科へ移ったのは、発病して1年にもならない1998年の6月25日。その日から4ヶ月余りの死との壮絶な戦いが想像された。ホスピタルは心静かに死を迎えるところ、というのが大方の認識である。でも、そんなに静かに自分の死と向き合えるだろうか。その人にも最後の最後まで、死にたくないという生への強い執着があったのではないだろうか。自分だけが何故という悔しい思いが、ぎりぎりあそこまで持ちこたえたように思われてならない。
帰り道、上司が「見た?」と短く聞いた。「ええ」とだけしか答えられなかった。怖がりの私は夢を見てうなされるのではないかと危惧したが、そんなことはなかった。思い出す度に、さぞ無念だったろうにと胸がつまり涙が出てくる。
その人の命日がもうすぐやってくる。
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