2003年(平成15年)8月1日号

No.223

銀座一丁目新聞

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茶説

いちゃもんをつけるな 父兄よ

牧念人 悠々

 さいたまの小学校で国語の質問に答えられなかった児童を5日間も立たせた先生がいた(7月25日毎日新聞)。戒告処分をされたが、誠に立派な先生である。いまどき珍しい。罰を食らったのは4人の2年生の児童である。国語の時間に(昨年12月4日)短い物語の「主人公の気持ち」を聞かれて答えられなかった。国語は一番基礎的な学科である。国語がよく出来ないとすべての学科がわからなくなる。4人ぐらいの児童がわからないのはたいしたことないと、先に進む先生が多い中で、最後までわからせようとした努力はほめられてよい。授業のやり方として、レベルの高い児童にあわせるのとレベルの低い児童に合わせる二つの方法がある。この先生はそのやり方を会得しているようである。昨今の悪い風潮は子供の躾も出来ない父兄が子供に言われてすぐに学校に抗議に行くことである。それも真面目に行くのだから始末が悪い。
 「いちゃもん」をつけると言う言葉がある。いちゃつくからきている。なれなれしいという意味である。父兄達は学校をなれなれしく思っているようである。彼らの抗議はまさしく「いちゃもん」をつけるといってよい。
 子供が立たせられたのは出来なかったからである。子供がよく考えれば答は出てくるではないか。また「立たせられる」のも我慢するのを覚えるようになる。いまどきの子供にはこれぐらいの罰がよい。小学校5、6年生の頃が子供にとって人格形成の上で大切なときである。先生の役割は大きい。筆者が小学生のころ、何度悪さをして立たされたことか。そのつど母親には黙っていた。父兄よ、あまりいちゃもんつけるなよといいたい。先生のやる仕事を温かく見守る雅量が欲しい。
 罰を加えた先生は別にしよげる事もない。教育委員会からの「戒告」処分は勲章である。このような勲章はいくらあっても良い。胸を張って前へ進め!

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