2003年(平成15年)8月1日号

No.223

銀座一丁目新聞

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静かなる日々
─ わが老々介護日誌─

(9)
星 瑠璃子

 6月11日
 病室が外科病棟から「療養病棟」に変わる。週末には「回復期リハビリ病棟」へ移れるかもしれないということで楽しみにしていたのが、突然「療養病棟」という初めて聞く病棟へ行かされるのだ。
 「療養病棟」とはそもそも何か。説明を求めると、渡されたザラ紙にはこうあった。「急性の疾患は快復したもののなお入院を要する患者のための生活棟」。
 けれども、そこはどうも「老人病棟」ということらしかった。だまし討ちにあったようで釈然としない。なぜ「リハビリ病棟」ではなく「療養病棟」なのか、「会議で決まりましたから」というばかりでは納得がいかない。
 なにか非常に不愉快な気持ちになり黙って帰って来てしまったのだが、夜遅くなって、昼間そこにいなかった婦長さんから電話があった。「おさしつかえなければ、3日後の2時に」と時間まで決めている。「おさしつかえ」といったって、こちらには否やをいうだけの根拠も情報もないではないか。悔しいような、やるせないような心境だ。不安もある。けれどもここでぐずぐずいっていても始まらないだろう。「ともかく任せよう」と OK をだし、ついでに確認したことは以下の通り。
 ・個人差はあるが、手術から1か月または1か月半での回復状態を見て、その後のリハビリをどうするか、引き続き入院が必要かなどの方針を決める。母の場合、それがこの処置となった。
 ・「療養病棟」主治医は内科の H 医師に変わる。これまでの整形外科の 主治医は2週間に1回の回診となる。
 「年齢が年齢なのでゆっくり気長にと考えての処置」というが、母の人生にとって、いま何が一番大切なのか。原点は常にそこにあり、いつもそこへ立ち戻って考えたいと思っていることを伝えておこう。つまり、たとえ歩けなくても、庭の緑の見える自宅の寝室で寝たり起きたりの生活ができればそれでいいのではないかということを。 
 
 6月14日
 療養病棟に引っ越す。
 母は落ち着かず、「変わらなくてもよかったのに」と怒っているが、怒りたいのは私だって同じだ。それに「療養病棟」なるものへ感じていた不安はどうやら的中したようなのだ。
 というのは、新たに渡されたパンフレットの「毎日のプログラム」を見ると、「トイレ誘導(おむつ交換)」なる時間が決まっていて、それは午前中に1回、午後2回、夜が3回である。こんな無茶なことがあろうか。排尿の時間まで決められているとは。それになぜ、ここまで回復してから「おむつ」なのか。
 
 6月15日
 「トイレ誘導」の件、婦長さんに確かめる。と、これは「尿意のないひと」のためのものということであった。こちらの剣幕(押さえていてもつい顔色にでてしまう)にあきれたように「そんなレベルダウンはいたしませんよ。おむつも可能な限り使わないというのが基本方針です」と笑って言う。では「尿意のない患者」がこの病棟にはそれほど多いのか。やっぱりここは「老人病棟」なのか。とすれば母の場合、「95歳? じゃ療養病棟」とマニュアル通り(?)の10把ひとからげで決まったに違いない。なにも「老人病棟」そのものが悪いわけではない。気に入らないのは、事前に何の説明もないそのやり方だ。
 質問ついでに、こちらの目標が「トイレ」にあることを確認しておく。
 どんなにヨチヨチ歩きだろうと車椅子を押してトイレに行けるということは、家の中を歩けるということ、食堂で食事ができ、居間でくつろぐことができるということ。うまくすればアトリエで絵を描くことも、入院前の日課がそうであったようにスケッチ散歩だって可能なのだ。いま思えば、ほんの一月まえにはそんな夢のような幸福な時間があったのだった。
 トイレにさえ行けるようになれば即退院させていただきたい、あとは何も望みません、たとえ足腰が治っても頭がイカレてしまっては元も子もありませんからと、まるでタンカを切るように言った。なにをそんなに怒っているのか、相手には伝わらないだろうのに。私がいらだつのはつまりこういうことだ。リハビリ、リハビリというけれど、そのリハビリは1日に1回。そのほかの時間はこちらが行かなければほとんどベッドに寝かされていて、何がリハビリだろうか。しかも土、日はそのリハビリも休みなのだ。それが療養病棟というところなのだ。
 
 6月16日
 今日はリハビリがお休みの日。油断して少し遅めに行くと、こちらの顔を見るなり母は「酔っぱらっちゃったの」といきなり歌うように言う。所属する美術家協会のパーティーでワインを飲み過ぎてしまったのだそうである。「そうしたら急にみんないなくなちゃって……」と不安そうに付け加えた。
 入院した頃、だれか仲間の展覧会の案内状が来ていた。それが記憶に甦ってなにかの拍子に出て来たのだろうか。吉本隆明いうところの拘禁症状の一種だろうか。いつまでも「酔っぱらっちゃったの」と繰り返す母を前に婦長さんは、「まあ、そうなんですか」などとニコニコしながら話を合わせてくれている。さすがプロだ。私にはあの真似はとてもできない。
 一喜一憂の日が過ぎて行く。朝昼晩の病院通いで、体重が恐ろしいようにどんどん減って行く。疲れすぎて夜もよく眠れない。

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