競馬徒然草(22)
−「あめあめ ふれふれ」−
雨の日に、窓の外の雨を眺めていると、不意に雨の日の記憶が甦ってくることがある。といっても格別のことではなく、曖昧な記憶の断片だったりする。たまたま「雨」を話題にしていたとき、小学校時代のことまで鮮やかに覚えている男がいた。「学校まで、母親が傘を持って迎えにきてくれた」という。そんな経験を持つ人は他にもいるのだろうが、それをつい最近のことのように、鮮やかに再現して語れる人は少ないような気がする。よほど愛情深い母親の下で育ったのだろう。居合わせた面々は、一様に羨望の表情を示したものだ。
母親の愛情に恵まれなかった者も、雨の日を歌った童謡なら知っている。例えば、北原白秋の『あめふり』だ。「あめあめ ふれふれ かあさんと・・・」。メロディーも覚えている。ただ、いつ、どこで、誰と歌ったかとなると、どうにも思い出せない。友達の誰かが歌うのを、聴いていただけのことかもしれない。記憶は曖昧だ。ところで、この童謡をきっかけに、1つの替え歌を思い出す。
随分以前のことだが、ガーサントという馬がいて、その産駒は雨の日に好走した。雨で馬場が悪くなっても、重馬場など苦にしなかった。だから、「ガーサントの仔は重馬場の鬼」などと言われた。そこで、替え歌も生まれた。童謡『あめふり』の替え歌だ。「あめあめ ふれふれ かあさんと・・・」の、「かあさんと」というところを「ガーサント」と替えたのだ。「あめあめ ふれふれ がーサント・・・」。雨の日には口ずさんだ。レース検討の上でも役立った。
雨によって馬場状態も、「やや重」「重馬場」「不良馬場」と変わるが、馬場が悪化するほどいいという馬もいる。雨が降り続いた日のレースなど、レース振りに注目していると参考になる。最近は、「重馬場の鬼」といわれるほどの馬もいなくなった。新しい種牡馬の数も増え、血統的にも多様化しているせいだろうか。
今は懐かしいが、ダイシンボルガードなどという馬も思い出す。極め付きの重馬場得意で、不良馬場のダービー(1969)を楽勝した。良馬場の皐月賞では敗れていた。その雪辱を見事に果たしたのだ。喜びの余り、厩務員が馬場へ飛び出し、愛馬に向かって駆け出した。前代未聞のことだった。雨の日の出来事として、忘れ難い。 (戸明 英一) |