安全地帯(51)
−無名の人の俳句、味わい深し−
−信濃太郎−
体がぞくぞくっとふるえを覚える句集に出会った。俳人の名は加藤静子。句集は「晩年」(藍書房)である。
新月や七十歳にもある未来
新月と未来の取り合わせが絶妙。新月は作者その人をさす。清く美しい「三日月」のような人であろう。「古希すぎていよよ闊達春帽子」の句もある。
夜半の秋江戸語事典に刻忘れ
勉強家である。江戸の話は万事に面白い。「ガマの油」の口上は落語「両国八景」にでてくる。ラストの調子は文章として参考になる。江戸時代の少年犯罪の処分はどのようになっていたかを調べると時間がたつのを忘れる。「刻忘れ」とさらりと表現するのが憎い。
物少なきこと豊かなりけり菜を洗ふ
暖衣飽食の世。物少なきことが豊かであると言い切るのは心が豊かな証拠である。何んでも食べるようにしている私には「我が意を得たり」という心境になる。多くの家庭では捨ててしまう大根の菜を洗っているのであろうか。
吾がために小さき紙雛求めけり
ささやかでつつましい生活のなかで、紙雛を求める純な心には頭が下がる。ほのかな色気さへも感じる。
塵ひとつなき方丈の草の花
よどみなく「塵ひとつなき・・・」と歌い上げるところに非凡さを感じる。目の前に古びているが簡素な方丈のたたずまいが浮かんでくる。雅の極地といってよい。水墨画なら方丈は秋草の花とひとつに溶け合っているであろう。名句だと思う。このような句に会うと嬉しくなる。俳句の世界に有名、無名の差はない。
虚空より亡き友の声春悲し
居るはずのなき人さがす花火の夜
山しゃくやく咲いて寂しさ募りけり
友人を亡くした慟哭がよくでている。しかも自分の心を抑えて友をしのんでいる気持ちが伝わってくる。空を見ても、花火大会の人の波にもまれても、山しゃくやくの花にも友を思い出す。涙なくしては読めない。心優しき人である。「文は人なり」というが「俳句も人なり」とつくづく思う。 |