2003年(平成15年)7月1日号

No.220

銀座一丁目新聞

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競馬徒然草(19)

−オサラッペ会・歌− 

  「オサラッペ会」という会がある。旧軍人たちの集まりである。昔、北海道旭川に第7師団があり、そこの第27連隊に彼らは所属していた。連隊は、石狩川に注ぐオサラッペ川の近くにあった。厳しい訓練の明け暮れ、常に心を癒してくれたのは、そのオサラッペ川であった。“母なる川”である。会の名称は、オサラッペの地に由来している。その集まりは、いわば同窓会といっていいが、最後に軍歌が出た。
 軍隊では士気を鼓舞するために、しばしば軍歌が歌われる。訓練の1つでもあった。厳しい軍隊生活の中で歌われた軍歌。旧軍人たちの集まりで、今なお軍歌が歌われるのも理解できる気がする。「ある時期を共に生きた」という共通認識が根強いのである。
 ところで、異色の軍人もいた。小宮山量平氏である。ご存知の人も多いだろう。理論社の創業者で、長編小説『千曲川』(4部作)の作者としても知られている。「オサラッペ会」の会員でもある。見習士官時代、軍歌演習で、兵隊に童謡や唱歌を歌わせたのだ。『われは海の子』や『七つの子』。当時の常識からは逸脱している。上官の叱責があってもおかしくないところである。だが、何のお咎めもなかった。というのも、兵隊たちが張り切って大声で歌い、普段にもまして堂々と行進したからだ。「気分がスッキリした」と、兵には評判がよかった。初めて軍隊に入ってきた者が多く、慣れない生活に緊張そのものだったが、童謡や唱歌によってリラックスできた。そのことを忘れ難い思い出として記している人もいる。軍隊にはふさわしくないと思われがちだが、歌には心を揺さぶるものがあるということだろう。
 昔は、童謡のほかに唱歌というのがあった。小学校の音楽の時間に教えた。今もなお、忘れ難い想いの世代の人も少なくない。これは別の集まりでの話だが、懐旧談が盛り上がったとき、唱歌も話題になった。『一番星みつけた』などというのを、口ずさむ人もいた。調べてみると、昭和7年(1932)の教科書に載っている。夜空に星を見つけて遊ぶ子どもの世界は、情緒溢れるものである。そんな情緒も、今の世の中には失われている。話は飛躍するが、「今年の一番星」も話題になった。
 唱歌からの連想で、話題にしたのは競馬ファン。すでに始まった今年の新馬戦で、最初に勝ち名乗りを上げた馬のことだ。あの唱歌では、一番星の次に二番星、三番星を見つける。そんなロマンの一片もない、殺伐とした世の中である。それがたとえ競馬の世界であろうとも、星を探し求めるような心情は捨て難い。あなたは、どうお考えだろうか。

(戸明 英一)

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