2003年(平成15年)7月1日号

No.220

銀座一丁目新聞

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静かなる日々
─ わが老々介護日誌─

(6)
星 瑠璃子

 5月31日
 昨日あんなに高揚していたのが嘘のように、今日の母はすっかり意気消沈している。食欲もなく、いままで見たこともないような暗い顔で「早く家に帰りましょう」とそればかり言う。どうしてここにこうしているのか、分かっているような、いないような。
 夜、昼間お見舞いに来て下さった母の知人に御礼かたがたお電話をすると、
 「個室ではなく、四人部屋の方が気が紛れていいんじゃないでしょうか」
 と、その方も心配そうに言われる。
 手術後の合併症、肺炎や尿路感染を免れ、無事に抜糸もすんだ。けれども悪くすると、母はこのまま痴呆になってしまう恐れがある。そういう例はよくあるそうだが、そうなったらモトもコもない。なんとしてもこれだけは避けたい。やっぱり四人部屋か、そんなことを行きつ戻りつ考えながら浅い眠りを眠る。

 6月1日
 朝行くと、食事には手もつけずに、「主治医の先生とお話がしたいの」と待ち構えていたように言う。退院の方向はないものかと、一晩中そればかり考えていたらしい。
 すぐに婦長さんに来てもらって話をするが、四人部屋に変わることについてはなるべく早くナースステーションの近くでということで了解を得たが、当然のことながら退院はまだ話にならず。婦長さんとの対話をそばで聞いていた母にその内容を手紙に書いて渡す。そばにいても母には半分くらいしか聞こえないし、手紙にしておけば、あとで何回も読み直すことができる。以下はその文面。 
 
 「早く退院するための当面の目標は、いま入っている尿の管を外すことです。
 そのために、尿の管を一定の時間をおいて開けたり閉めたりして、いままで垂れ流しであった尿を溜め、自立的に「尿意が排尿につながる」練習をすること。これはすでに少しづつ始めています。尿の管を外すことができたら、ポータブルトイレを使う練習に入るわけですが、その前に『ベッドから降りること』『たとえ20秒でも、立ち上がった姿勢のままでいられること』『便器に座ること』ができなくてはなりません。
 それには、リハビリ室で毎日『立ち上がる訓練』『身体を動かす練習』をしなくてはならない。これは少しづつ始めていますね。
 いまは自分では立つことも座ることも出来ないので、リハビリはとても大変だけれど、これをなんとか頑張らなくては退院できません。「リハビリなくて退院なし」です。
 ともかく自分で立ち上がること。便器に座ること。これが当面の大目標なのです。
 少し慣れたら、お庭に面した一階のリハビリ棟に移って日常生活の練習をすることも考えられると婦長さんから聞きました。そうなったら、絵を描くことだってできますね。
 いずれにしても、『気持ちをゆったりと持って焦らぬこと』、これが一番大切なことなのです。骨折というものは、一朝一夕に治るものではないのですから。手術でくっつけた人工の骨が身体になじんで機能するまでには、ある程度の時間はどうしても必要なのですから」
 
 帰りがけ、廊下の向こうに院長先生の歩いておられる後ろ姿が見えた。あの方が院長、とは知っていたが、ご挨拶をしたことも、ましてや面と向かってお話ししたこともなかった。けれども考えるより先に身体が動いていた。「どうか母のところへ行って励まして下さい」と追いかけていってお願いをした。突然のことでびっくりなさったようだったが、にっこりと笑って、「いいですよ」と気さくに母の部屋までついて来て下さった。「ずいぶんよくなりましたねえ。もう少しの辛抱ですよ」と母の手を握って下さる。こんなに優しい言葉を、この病院へ来て初めて聞いたような気がする。

 6月3日
 忙しい日だった。病院から戻り昼食を終えて間もなく婦長さんから電話があった。部屋を変えます、と言う。「何時頃に?」と聞けば「もう始めています」とのことであわてて飛んで行く。
 こちらの心配をよそに、母は新しい病室で「お風呂へ入れていただいたの」と気持ちよさそうに寝ていた。一日に何回も気分が激変する。
 四人部屋に、住人は三人。母ともう一人は今日からこの部屋に入った新人である。多すぎる引っ越荷物の整理に追われていると、「リハビリを始めますからごいっしょにお願いします」と声をかけられる。
 「リハビリテーション実施計画書」なるものを渡されてレッスン開始。今日は初めての「歩く練習」だ。
 平行棒につかまり、叱咤激励(これが私の役目)されつつ母は2メートルくらいを超スローモーションで一往復した。
 家族は隅の長椅子で見ているだけと聞いていたのだが、明日からは毎日ついていて下さいと言われる。どうやら特別扱いだ。私が強く言わないと母はちっとも動こうとしないのである。すぐに機嫌が悪くなり「くたびれちゃった、休ませて」という。リハビリ専門の若い女性(PT)が二人がかりで面倒を見てくれるのだが、彼女たちだけではなかなかラチがあかない。母はあれこれ理屈をつけてはなんとか動かないことを考えるのだ。「『学者と芸術家はリハビリにもっとも適さぬ人種』という説はどうやら本当のようだ。大方の人は自分の回復にはもっと熱意を持って、這いずってでもと努力をするが、この特殊な人種は、諦観を持つのも容易だし、自分のしたくないことを正当な意味付けなどして、拒絶する才能を持ち合わせている」と大庭利雄さんが書いていた(『終わりの蜜月』)のを思い出す。

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