安全地帯(41)
−「良心を失わずに生きる」こと−
−信濃 太郎−
三浦綾子原作・十島英明演出の前進座公演「銃口」を見る(3月22日・前進座劇場)。この作品は三浦綾子さんが最後に書いた千百枚を越える長編小説である。それを山口誓志と田島栄が作者の意図を的確に捉え、上手にまとめている。脚色の山口さんは旭川から歌志内へ、主人公がたどった足取りを追体験する。その土地の空気と風景を知るためである。「一見平和そのものような今、身近なところに、見えざる『銃口』が、ひそかに準備されている」と訴える。田島さんは『時代をしっかりと見つめなさい』と教えた坂部先生の言葉を綾子先生の私への助言として、いつも忘れずに脚色の仕事をしてきたと述べる。これが難しい。銃口は内からも外からも向けられている。時代を見つめる目もその人の立場によって異なる。
このお芝居の見所はたくさんある。心に残るのは旭川警察署のデカ部屋での北森竜太(高橋祐一郎)と恩師坂部久哉(武井茂)との対面の場面であろう。涙なくしては見られない。珠玉のような言葉がちりばめられている。「竜太、苦しくても人間として生きるんだぞ。人間としての良心を失わずにいきるんだぞ」「どんな時にも絶望しちゃいけない。四方に逃げ道がなくても、天に向っての一方だけは常にひらかれている」「絶望してもいい。しかし、必ず光だけは見失うな」「人間は弱いものだよ。弱くて卑怯なものだよ。しかし、その故に、人々が節を曲げることがあっても、責めてはいかん。自分をも責めすぎないことだ」坂部先生の言葉は私の胸をえぐる。弱い人間でも生きる気力が出てくる。
それにしても、子供をこよなく愛し、熱心に教える先生達が綴り方教育連盟に属していたからといって何故、弾圧されねばならなかったのか、理解に苦しむ。しかも、よりによって立派な先生ばかりである。今考えれば実にばかげたことだと思う。現実に不条理な事がまかり通っていたのである。それは治安維持法のためである。1925年4月に制定されたこの法律は1945年10月まで、思想、言論の自由を統制するに用いられた。もともと共産主義運動を弾圧する目的で作られた。次第に拡大解釈されて自由主義、民主主義思想の取締りまで広がった。いかにに思想、表現の自由が大切かを「銃口」は教えている。
演出家や脚本家の考えとはちがって、筆者は教育基本法改正賛成であるし、有事立法も推進すべきだと思っている。だが、反対する人たちの表現の自由は大いに尊重する。考えが異なるからといって罵倒も喧嘩もしない。現代の日本の教育には坂部先生、北森先生が必要だと思う。戦後教育は逆の意味でこのような先生を排除してきたのではないか。教育界だけでなくどこの世界でも良心を失わずに生きる人間が求められている。 |